2010年11月24日水曜日

定期受診(退院後10日目)

角田せんせーの診察。
1.血液検査の結果は「すごくイイ!」
2.胸部レントゲンの所見は、左肺にまだ胸水が認められる。よって、利尿剤は継続する。
3.あとは、発症の原因であった、食についての生活習慣に注意を払いさえすれば、
  件の腹部に残った解離もコントロールしていけるでしょう。
とのことでした。

今週月曜にも眼科の診察を受けていて、美人眼科医羽島せんせーの所見は、
1.眼球に認められる、虚血の形跡は改善しつつある。
とのことでした。

体力の回復や、集中力の改善など、自分でも感じるほど、日々良くなっていくようです。
睡眠時に呼吸が浅く苦しくなって覚醒することも少なくなり、
数時間の継続した睡眠がとれるようになってきました。
しかし、肋骨はまだ痛く、体に力を入れられないので、重たいものは持てないし、
大笑いの可能性のあることは避けねばなりません。
発汗が右側に偏ることがある、左目の視野の一部が砂嵐になる、
声がかすれる症状は依然としてあります。

次回受診:眼科>12/20 10:30、心外科>12/22 11:00

時刻    血圧      体温    SP02    体重 
22:38 124-81  ℃    %     68.4kg

2010年11月14日日曜日

タオル温湿布の効果

そもそも タオル温湿布を知ったのは、クラシック系のネットラジオ「オッターヴァ」のコンブリオという番組でした。リスナーの方が投稿された情報をDJ氏が語っておられたのを参考にさせていただきました。(11/8放送分)

確か、オリジナルは、高温のお湯を掛けて絞った温タオルを3枚準備して、それを順次取り替えて患部を温める、ということでした。お湯の中にアロマオイルを入れてもいいという事だったと思います。
また、お湯に漬けるて絞るのでなくて、ただ濡らしたタオルを電子レンジで温めるという手抜き法も紹介されました。

そこで、まさに今入院中のわたしは、病院内で簡単に再現できる 次のような方法で行ないました。

① 温度の高めの温タオルを2枚をビニル袋に入れて支給してもらいます。
 こういうモノは病院なのでスペシャルではなく、お願いすると確実に持って来てくださいます。
② ①を、別の乾いたタオルでくるみます。
③ くるむ際、乾いたタオル好きな部位にオイルを1-2滴つかう。
④ たとえば、乾いたタオルでくるむとき、キャンディーかハッピーターンのようにくるんで 端の余る部分同士を結ぶと、首にまいて固定することができる。

そして、これを行った理由と効果は次のとおりですが、結果、よい対処だったと思います。
今回の治療は、左側から体内にアクセスする方法だったので、侵襲もアンシンメトリなものとなりました。
回復の過程でもそういうことは未経験のため苦労が多く、
・体の左だけが硬直したように凝る。
・発汗が右側からしかできない、という現象がありさらに、
・左目のある決まった部分が見えない(その後、「見えにくいが、歪むから霞むへ」という症状になってきています。)とか、
・耳奥がパルス的に痛くなるとか、
・嗄声が治らないとか、
ということが現在でも少なからず残っています。

しかし、寝る前、夜中に目が覚めてしまったとき、上記の「タオル温湿布 with オレンジ」を行うと、
少なくとも凝りはラクになり、耳奥の痛みは早期に消失するように思います。
毎日、昼間から繰り返し、タオル温湿布を1週間ほど続けましたが、痛み対策にも、機能回復にも貢献していると言ってもよいかと思います。最近4日くらい、痛み止めを服用していません。

気持ちイイと感じる範囲で、このタオルを首のうしろや横にあてがうわけですが、いずれ温度は下がります。その場合、私は、自分で電子レンジで再加熱を繰り返し、ほぼ1日毎に交換していました。

かなり以前には、首周辺を積極的に温めるということはなかったし、実際、後頭部を熱中症などで冷やすことはあっても、理由はどうあれ温めることはないと習ったものですが、業界の常識も変化しているようで、おそらく、看護雑誌等には、タオル温湿布の適用部位として、首の周囲全域と後頭部も入った記述と載っているのかもしれません。


時刻    血圧      体温    SP02    体重 
14:00 104-68  36.0℃    %     kg
19:54 118-70  36.8℃  97%

一般病室で思うこと。

今朝の回診で、明日の退院にあたって感謝を述べつつ、最後まで、ドレンチューブの出口に貼ってあった 小さなシール材をはがしていただきました。

昨夜、個人的に同様の記述をさせていただきましたので、重複した記述になりますが、ここからしばらくお許しください。
今回、手術を受けることを即断したのはたしかにわたしでした。
そこまでがわたしで、その後、入院までの間、仕事を休止するためにうけたサポート、入院への心構えを盛り上げてもらったサポート、入院してからは、医療チームのサポートに全面的に委ねました。
そして、大きな開口を作ったカラダも、きちんと元のとおり使えるように戻してもらったので、わたしの肉体は不思議なくらい回復しています。
しかも、わたしの意思が及ばないところまでも着実に戻りつつあるのを覚えます。


結局、始めに意思の決定だけ行ったわたしは、その後、信じて委ねました。すると、パワーやサポートが次々とやってきて解決していってくれた、と言えるほど速い流れだったように思います。
「こんなに、早く退院できて、すごいね。」とお祝いをただきます。
が、ただ決めただけでわたしは何もしないのに、わたしのカラダと魂が道を迷わずどんどん生還に向かっていってるのがすごいことだと思うのです(思っているのが心です)。


さて、日曜の朝というのに、わたしの病室で脱走騒ぎがありました。
隣のベッドのおじいさんTKTさんです。
直接お聞きしたわけではないのですが、かれこれ2週間同じ部屋で毎日やすんでいると、断片的に聞こえてくることはあります。
TKTさんは、奥さんもケガをされて別の病院に入院されている、TKTさんご本人は透析が必要だが、そいうわけで通いで週3回透析を受けるくらいなら、しばらくは今のまま過ごすのが医療・介護の面からも経済的、自宅に戻るとすれば、息子たちの迎えが必要となるが、それは最速でも今週水曜にしか実施できない。透析以外の循環器的な病気は回復しており、その点での退院は可能であった。
そうなら、水曜まで過ごされるものと思っていましたし、打ち合わせもそのようになっているようでしたが、TKTさんご本人は事あるたびに早く退院したいとハッキリした言葉で訴えておられ、ときに、その日の朝は水曜退院で納得していたような言動であったのに、夕方の回診では、今から退院したいと言い出されたりしていました。
そして、今朝も、予定は水曜のまま変更ないはずなのに、担当看護師に、今日は何時頃退院だろうか、とたずねたところが、発端となり、今日に限って、老人対応の苦手な新人同然看護師IMGさんだったせいもあって、
TKTさんの 脳は論理を失ったようでした。看護師IMGさんが、確認してきますと、離れたあいだ、瞬く間に、TKTさんは 荷物をまとめ、着替え、部屋から出ていってしまいました。
それも、廊下側のベッドの向かいどうしのDOWさん(70)とわたしが通路越しに 話しているその通路を足早に過ぎていかれたので、わたしとDOWさんは、追いかけることもなく、思わず目で見送ることしかできませんでした。
その直後、不在が発覚したものの、表面的に大きな騒ぎになる前、退室から40分後くらいに病院前のバス停におられたTKTさんが 安全に連れ戻された、と聞きました。

健常な大人でも、長いこと病院のベッドに休むことは相当なストレスになります。今年になって、都合6週間 この病院にいて思うことです。
心臓血管外科、循環器科、という病棟の性質上、高齢の方が多いのは確かです。80床くらいの棟だったとおもいますが、夜中に急変の慌ただしさを感じたり、その後、食堂か面談コーナーで背筋のまっすぐな葬儀屋さんの姿を見ることもしばしばです。

そんな環境なので、わたしも、余程休む必要のないときには、パソコンを持って食堂で1日を過ごすようにして、消灯時刻以後も、ベッドで引き続きパソコンをネットにつないで、メールなどしていることを、認めていただいていました。
そうでないと、病院に進む独特の時間の中で、ベッドにしばられ 病室でぼんやり暮らしていると、それが原因で別の合併症が起こるのではないかと思えるほど、入院患者の環境は院外の環境とは違います。

高齢者で、脳の機能の十分な方なら、なおさらかもしれません。
そういった、辛い状況を慮って 本人と関係する人全員が、健全な姿かつ事情を納得した上で 入院する、そういう対応をあらかじめとることが、回避策の1つであったかもしれないが、少なくともわたしには、正解をいまだ見出すことはできません。

が、イメージとして、この人が毎日行なっている介護が、要介護者さんの最後の時まで継続していけばいいな、というのはあります。それがわたしにできるかどうかは別ですが。

2010年11月13日土曜日

千葉中央メディカルセンターへの意見

医療的にはたいへんお世話になり、わたしに命を新しくいただいたも同然という思いです。
ですから、医療機関として医療技術レベルはたいへん満足をしておりますし、大変感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです。
しかしながら、病棟病室の居住性など、医療に附随する様々な、サービス業的な部分で十分とは言えない部分がいくつかありますので、気づいた点を以下に挙げます。順序は思いつく順です。事項の軽重ではありません。

① カーテン(4人部屋で、ひとり分のを区画する大きなもの)が異常にクサイ
② ちょうど、夏寝具と冬寝具の入れ替え時期に接したが、作業の段取りが悪い
③ 退院後のその患者の使用していた場所の清掃、セットアップの作業が雑
  他の眠っているかもしれない患者の在室をまったく配慮しないほど作業時のカタカタ音がたいへんうるさい。方法についての提言は胸中にありますが、ここには記載いたしません。
④ 病室内にレントゲンの機械を入れて撮影する作業が雑
  上記③同様、作業時のカタカタ音がたいへんうるさい。
⑤ 暖房の必要な日に、冷房しか使えなかった。
⑥ 女性看護師のなかに、体臭が気になるほどクサい者、化粧品ニオイがキツすぎて気になる者がおられる。
⑦ 使用頻度の高い共用トイレが、掃除直後でもニオイが取りきれていないことがある。

本当は、よかった点やすぐれた点はこれ以上にたくさんあります。
しかし、ここでは、気付き点を挙げる(厳しく指摘する)だけになっていますことをお許しくださだい。

また、いくつか提言(患者としての希望)がございますので、記述いたします。
⑧ 患者用にインターネット環境をととのえて欲しい。(出来れば全床に)
⑨ 入院患者食のデリバリー、入院患者用の食事を外来患者へ院内レストランで提供できないだろうか。
⑩ ボランティアの受け入れが難しいようだが、縦割り組織の弊害ではないか?
⑪ 本日の脱走劇のように、簡単に患者が行方不明になれるのは、セキュリティは十分か。


1階受付前ロビーにこのような意見に機関として返答されている掲示板を拝見しました。
ご対応はその掲示板をとおして経過などをお知らせいただければ幸いです。
なお、本稿は私の闘病ブログ「私の一部がアンドロイドとなる日」 http://neo-android.blogspot.com/ の 11月13日に記載した内容、「千葉中央メディカルセンタへの意見」と同一です。


(冒頭につける)
本年4月と10~11月に各3週間、心臓血管外科にてお世話になりました、
齋藤 誠一と申します。

これからのこと(つづき)

昨日このブログで、腹腔部に残る解離について触れました。
 > そうなら、ここは、2度目の置換術をできるだけ先へ延ばす、出来れば一生行わないで済ませる
 > 方向で暮らしていきたいと考える。つまり、最も適切な血圧コントロールを含む健康管理だ。
 > 人生最大の努力が必要になるだろう。でも、これを惜しむことはできない。

そのリスク度について 主治医角田せんせーの見解を今朝の回診時に聞いてみました。
 胸腔部の解離は発症からわずか半年で、外科的手術を要したが、
 今回の処置の結果、もともとの解離の状態からして、
 経過観察、生活の管理によって、一生終えるまで再手術をしないで暮らすことも可能、
 とのことでした。
考えようによっては、次の再発までが残された時間ということになり、時限タイマーのようだと
イヤだな、とは思っていました。しかし、そのタイマーは努力次第でゆっくり進めたり、もしかすると
タイマーを捨てられるかもしれないわけです。
これは、だいぶ気持ちが違います。
 


時刻    血圧      体温    SP02    体重 
7:35  130-65  36.1℃  98%  70.6kg
19:19 110-69  37.1℃  97%

2010年11月12日金曜日

これまでのこと、これからのこと

今日、三原せんせーが直々に、「3Dの画像ができたよ」と言って、
術前と術後の 造影CTのデータから生成した
3Dイメージを同じ角度からくるっと12枚ずつのショット画の
プリントアウトをベッドまで持って来てくださった。

たぶん、通常の診察のときには、画面上でくるくる回しながら
見ることができるんだと思う。
さすがに、そういうふうに動かせるデータはいただけないのだろうな。

いただいた紙のデータをつないで、動きがわかるようにしてみますね。(あとで。)


さて、今回の大手術について,手術の前、後ともにていねいな説明をしていただいて
います。そして、今日もまたより頭がはっきりして、カラダに生きている実感が
あるときに、またお話をいただいて、より深まった感じです。

1.術式の選択
 ①人工心肺を用い、身体的には通常を保ち、ただ患部の血管をクランプして置換を行う方法
 ②低体温に導き、心臓を自然に停止させ、置換作業後体温を上げ、心臓を起動する方法
 あらゆることを含み 緻密に検討した結果、②の道をとることになった。

2.術後の経過の実際
 想像していたよりもはるかによい経過をたどっている。
 術中にはがれた血栓が脳や心筋の血管を詰まらせることは、不可抗力に近いが、そのようなことは
 観察する限り一切起こっていない。
 視野が辛い、耳奥が痛い。声がかすれるというのも含んで、術前の調子に戻っていないので、
 そいうこと現時点ではあってもよく、全身体力的に復帰したときには、改善している可能性は
 高い。ただし、経過の観察は必要。改善しない可能性もある。

3.今後予想されるシナリオ
 今回の置換範囲は胸腔内のみ。腹腔内には同様の解離が残っているが、
 これはいずれ置換することになるのか、しないで済ますにはどうしたらよいか。
 
 ここが今回 最も重要である。
 今回は、最も破裂のリスクの高い胸腔内のみの置換とした。
 腹腔内の大動脈をも同時にに置換すれば、解離の状態から逃れることはできる。
 しかし、侵襲性の増大、対麻痺のリスク負担、緊急性は弓部下降の部位に比べると小さい、
 腹部大道脈の置換はかなり複雑ゆえ関連臓器の不全のリスクもある。
 などを考え合わせて、今回は見送った。
 そして、幸い、腹部に関しては血圧をコントロールして行きさえすれば(?)、
 差し迫って置換を要さない状態である。
 いずれいつか2度目に腹部大動脈の置換を実施するにしても、今回からそれまでの間の、
 最大限に活動の可能性を考慮した術式であった。

 そうなら、ここは、2度目の置換術をできるだけ先へ延ばす、出来れば一生行わないで済ませる
 方向で暮らしていきたいと考える。つまり、最も適切な血圧コントロールを含む健康管理だ。
 人生最大の努力が必要になるだろう。でも、これを惜しむことはできない。


 入院の前の週、私にとって最も適切な質問がきた。

 「今、一番欲しいものは何?」

  >>> 「元気なカラダ!」 

 そう真剣に答えた。何度も、何度も、念を押された。

 その結果、ここまで来れた。

 (決して自力じゃないよ。でも、ちゃんと活動ができるくらい、元気になれそうだ。)

 さあ、これからどういうふうに生きていくのが、私らしいと言えるだろうか。

網膜に虚血の形跡あり

三原せんせー 朝の回診時コメント;
「(急性中耳炎的症状も、)視野狭窄にしても、そんなに高い確率では起こらない。」

なるほど、心臓外科的な後遺症として、耳奥の痛みや視覚障害が残るのは、
手術による血栓飛散にための脳梗塞を原因として考えるからだろう。
今 わたしに起こっているのは、そのような脳梗塞によるものではないような気がする。
コリ、新たなアンバランスの補正、術後の体力低下
を解消すれば自然に消失する症状なのではないか。
そうなら、視野の検査して、狭窄が発覚したとしても 近いうちに解消するものに
違いないので、検査の必要性はいかがなものか。

今の自覚のある視野狭窄は、ブラックアウトではなく、その範囲が霞む感じである。


というわけで、急拠眼科の検診を受けた。
美人眼科せんせーの所見は、
「網膜に虚血の形跡があり、そのせいで見にくくなっているのかもしれない。
今後 回復していくことに期待したい」
左右ともそのような傾向はあるが、特に左目の方がその傾向が強いので
症状となって現れているのではないか。

ここまでの見解(正式)を得るのに、みっちり2時間の検査、診断、撮影。
体力のない人にはキツイ検査だ。
体力の少ない人には、検査項目を粗くするとか できなのかなぁ。

虚血か。そうだよね、心臓を止めて作業してるんだし、
これくらいのことは起こるわけだよ。
むしろ、これくらいで済んでることがキセキなんだ。

ここでいつもの一言; 「今頃になって気付くなんて」


三原せんせー、角田せんせーは、実際に決しておっしゃるハズもないが、
声ならぬ 叫びが聞こえてきそうだ。
「キミの心臓を止めている短いチャンスの間には、
 すごく大変な作業をいくつも完璧に成功させなきゃならなかった。
 想像できるかい?」



次回眼科:11/22(再診)

時刻    血圧      体温    SP02    体重 
6:08  122-77  36.6℃  96%  71.3kg
13:46 104-66  36.7℃  97%
19:35 120-73  36.8℃  98%

2010年11月11日木曜日

凝り→中耳炎のような痛み、視野狭窄(?)

いま 抱えている自覚症状に、凝りがあります。
耳の奥(中耳)が痛くなり、急性中耳炎かともおもいますが、凝りの影響もあると思います。
凝りの影響のもう一つに、視野狭窄?があります。左目の視野のある範囲が同じ形に
グレーにアウトしています。右目は正常だし、左も眼球を動かせば見ることはでき、
不自由は回避できます。
さて、これらの凝りからくる症状は、いずれは改善するでしょうか。

凝り解消のために、一定時間連続して睡眠をとったり、温タオルの療法をしてみたり、
してはいますが、どうでしょう。


シャワーを浴びました。術後2回目。


痛み止め頓服(23:12) 左胸内部に違和感 痛いに近い

術後2週間。

耳の奥が痛いのは、凝ってるせいとはおもうけど、
現象的には急性中耳炎のようだ。
痛くて、寝れないので、カロナールを飲んだ。(2:15)
10分くらいで痛みが消え、眠りに落ち、次に気づいたのは、
90分後の、4時くらいだった。
以後、半覚醒な感じで朝を迎えました。

朝食後もう少し眠りたいと思ったのだけど、やっぱり耳の奥あたりに
痛みが戻っていて、再びカロナールを飲んだ。(9:30)
今度は、朝ゆえ病室が騒々しく、寝付くチャンスを逸してしまった。

清掃担当の方、検査技師のメカ担当の方は、
病室でもう少し静かに作業していただきたい。
あなた達の作業は、ハッキリ言って雑すぎます。
いたわりの気持ちってわかりますか?


時刻    血圧      体温    SP02    体重 
5:44  112-74  36.2℃  97%  
10:55 96-52          96%
14:54 130-74         100%
21:04 125-73  36.8℃  97%

温タオルでリラックス

今回は、手術により左右非対称な侵襲をうけているので、
回復期にあっては特に、どうしても、筋肉が偏って固くなる=凝った
状態となりやすいようです。

凝ると、睡眠が浅くなったり、本来の回復力が得られなくなったり
耳や目の奥に痛みを生じたり、たいそう不愉快です。

そこで、ネットラジオのオッターバ*でここのところ話題になっている方法ですが、
温タオルによるリラックスを実行してみています。

私の方法は、こうです。

①病棟のナースの方に アツアツのタオルを2枚、ポリ袋に入れてもらう。
②それを、扱いやすいように、乾いたタオルで巻く。
 乾いたタオルには、好みでエッセンシャルオイルを1滴しておいてもよい。
③ ①が入った②を私の頚あたりとその上あたりに 心地良いと思う感じであてがう。(冷めるまで。)

主治医の角田せんせーにもお話ししたところ、看護技術的に、
凝りに対しては、温湿布でも冷湿布でもよさそうだ、ということに
なっているそうです。

* ネットラジオのオッターバ
http://ottava.jp/
の、斎藤さんという方がDJをされているコンブリオ という18時から4時間の番組が
お気に入りです。

2010年11月10日水曜日

栄養指導、というより料理教室

4月にも 栄養士の神崎さんにいろいろ教えていただきました。
今日も同じ方に、内容が重複してももったいないので、わたしからの質問に対して
アドバイスをいただく形にしていただきました。

とど) おでん、シウマイ、餃子、ハンバーグ の各市販品は
  塩分量がすごいと聞いたので禁止にしています。
神崎さん) 厳しく禁止にしなくても、1回食べたら前後の食事を含んで 総量で調整すればいいです。

と)大盛りパスタとか、ラーメンも ホントは食べたいです。
神) 同様に総量で調整すればいいです。

神) 麺類はおつゆを全部のまない、煮込んで美味くなっているおつゆは、
  翌日に持ち越して仕立て直して食べたら なお美味しいです。
  (つゆを結局全部飲むにしても、2日かけているので減塩に貢献)

神) 市販つゆ(減塩)は便利ですよ。

と) みそ汁も禁止にしていました。
神) 1食に、減塩みそ3g程度を使ってみてください。みそも禁止にしなくて大丈夫ですよ。

などなど。



時刻    血圧      体温    SP02    体重 
6:15  114-74  35.6℃  96%  71.6kg
13:55 111-64  36.8℃  95%
20:50 132-82  36.3℃  98%

2010年11月9日火曜日

退院条件

血液の白血球数の値が、高めだそうです。
本日の結果、1万を超えている。
(基準値は、(男性)3500~9200)

今週金曜(11/12)に血液を検査して、1万より下回っていたら、
土曜に退院とする、ということになりました。


人工物を体内に設置する場合は、どうしても炎症が起こり、
術後、白血球数が増えやすいが、術を完全に終えるためには、
炎症していないことは絶対必須なので、白血球数が正常値に
戻っていないと、退院のOKには至らないとのことです。
(以上 三原せんせーより)


理学療法士の堀尾さんと 毎日、計画によって何百メートルかを歩いていますが、
今日は、天気も良かったし、病院敷地の駐車場をひと回りしたいと希望を申したところ
そのようにお付き合い頂けました。
ところが、今日は、ニュースなどでは聞いていましたが、風が強かった。
あまりの風に、駐車場 半周りくらいで戻ってしまいました。
それでも、外気を確認したかったという目的は達せられよかったです。


時刻    血圧    体温   SP02  体重 
13:08 99-59 37.2℃ 95% 71.0kg
14:37 104-60      96%
19:09 129-75 37.3℃ 99%

これから先、ともに過ごす。

今朝のチューブ2本付きのドレンパックを最後に、
わたしのカラダに、手術に伴いつながっていたものは、なくなりました。
あとは、チューブが出ていた 傷口が乾いていないことくらいでしょうか。

すなわち、今後、慣れなどによって 少しくらい変化をするかもしれませんが、
基本的に、今の状態がこれから何十年 ともに過ごすわたしのカラダの原形となる、
ということです。

本当に慣れていなくて、痛みの残りも作用しているのか、
左の目、耳あたりが、凝った感じになって重くなったりします。
緊張をほぐすのに、レンドルミンを半分のみました。

先ほど、傷口あたりが痛んで、頓服として処方されている
くすりを飲みました。

左半身を下にした寝姿勢は 痛くて不可能です。


どのことも、大血管の反乱を食い止めた 代償として
納得すべきなのですが、どこまで何を納得したらいいのか、
いつまで、今の気持ちでいれるでしょうか。
そいうときに、この記述が役立つのですね。

2010年11月8日月曜日

お見舞い企画、ありがとう。

シャワーと昼食を終えて、ベッドでちょっとウトっとしていると、
昨夜、夜行バスで大阪を発った 愛しの"ネコのおばちゃん"ことSYKさんの
ちょっと心配そうで、すてきな笑顔が、
洗濯したてのカーテンの間から現れた。
おお、なつかしい。何年ぶりか。

ひとしきり挨拶をして、
蓬莱の豚まん1個をお願いしていたので、食堂でチンして2人で食べ、
以前は 足裏マッサージが気持ちよかったのですが、
今日は、手の平マッサージをしていただきました。これまたいい!
アロマオイルを使うんですよ! 独立してご商売したらいいのにって、
ずっと思ってたんだよな。そろそろはじめようよ!

クラウドの話とか、インクの話とかしながら、
やっぱりお金はえらいという話になり、

病室のベッドに戻り、体の背面をほぐしていただいた。


次の企画は、私が焼肉中心でセッティングすることとして、
とにかく、完全に元気に戻ることを約束した。

元気でいるから、こうして懐かしい顔にも逢えるんだよ、
ステキなことじゃないか。ありがとう。

全部 外れた! おっしゃぁ! シャワーも浴びた!

手術日から数えて、11日目の朝です。

最後までつながっていた ドレン1個(チューブ2本)がはずれ、
これで、つながっているものや ぶら下がっているものはなくなりました。
うつ伏せ寝できるはず。

あとは、体内に埋設されたアンドロイド部分を大切に永く使っていくこと、
たちまちは、体内にアクセスするために 大規模に開いた部分との付き合い方をどうするか
(今までにないような体の状態なので、動かすと痛いのもあって、左半身が凝ったようになってつらい)、
(声のかすれも このあたりのことをうまくやっていくと解決するかも?)
すぐのことでは、ドレンチューブの傷跡を防水して風呂に入りたい、
ということです。

それにしても、思ったより早くここまで来れたと思います。
ほんとうに よかった。みなさん、ありがとう。
ほんとうに、今週中に退院できるかもなー。


チューブの挿さっていた傷口に防水シートを貼り、
シャワーを浴びました。もちろん、洗髪もして。
時間かかったなぁ。07分×300円。
かれこれ20分浴びてたんだな。
仕上げに、オレンジのエッセンシャルを少しのお湯を手のひらで足して
髪の毛になじませる。垂れた分も最寄の皮膚に吸収してもらうべく
ペタペタとしてみる。

香りはいい感じのはずだが、体力的に”ちょっと休みたいかも”、というくらい
消耗してしまった。
続きは 昼食後 休んでから。

2010年11月7日日曜日

週末、お見舞いの人。

そういえば、いつか私が友人KYMさんのお見舞いに
行ったのも 日曜の晩とかでした。


今日は、友人USAさんと共通の知人で師匠のSTGさんが、
繰り合わせてたずねてくださいました。
それぞれ、愛媛と愛知にお住まいです。

いつもと変わらない交流には 嬉しい限りです。

日程は、入院前からこの日くらいにね、と言っていたのが
そのとおりに実現するということも、
決して当たり前のことではない
ということも思うわけです。


病気になることは それ自体は楽しいことではないけれど、
ものの見方が 進化するにはいいチャンスかな、とか思ったりもします。


明日は、SYKさんが 大阪から お越しいただけることになっていますが、
ムリをなさいませんよう。
退院すれば、自由度もあがりますから。


にしても、ご親戚一団まとまっての来訪とか、
大家族お揃いのお見舞いとなると、とても賑々しく、
これはその家族にとってのイベントなんでしょうが、

そんなに多人数で集まるのは、ご本人が死んでからでいいんじゃない?
なんてね。

これって、介護施設の週末もこんな感じなんでしょうか?

そういえば、亡くなった叔母を施設に見舞ったのも、日曜日、墓参り後の昼下がり
だったようなきがします。


昨日、弟が来るというので、いくつか頼みました。
どれもmustなアイテムじゃなかったけど、いつものように快かったよ。
 曰く、電動歯ブラシ、フィルタ付きレギュラーコーヒー、イヤフォンの延長コード。
これも、退院近しってことかな。
母製 ロールパンと合わせて、ありがとう。



今日はいろいろ。

本日昼間の担当看護師さんが、珍しく「気になってることはありませんか?」とかおっしゃるので、
「んー、ベッドの仕切りのカーテンが、異常にクサイです。おれの枕よりもクサイです」
と申し上げたところ、対応が速かった。
直ぐに、看護助手のKZMちゃんがやってきて、ファブリーズを手にして
「これを吹きつけるか、いったん外して洗濯することになります」とのこと。
それではと、時刻はと確認すると14時くらいだったか。外して洗濯していただくことにした。
脚立をもってきますから、とカタガタと、慣れない感じで作業を始めたと思ったら
丸めたカーテンを持ってどこかへいなくなりました。
夕方ベッドに戻ると、洗い立てのいい香りのカーテンが下がっていました。
いい匂いでよかったよ。枕カバーと同じ臭いのカーテンはちょっとなぁ。
KZMちゃん、おつかれ様。ありがとう。

ここで、ちょっとアイディアなんだけど、
カーテン洗いのボランティアってどうかなぁ。
入院中に嬉しかったことって、
今 入院している人にも喜ばれるんじゃないかなぁ。

2010年11月6日土曜日

残り1本のドレンは、明日かな?

昨日までで、外部アクセスが、残り1(正確には2本の排出用ドレンチューブ)となっていました。
このチューブの回収量が、昨日1日で100mlでした。
よって、もう1日様子をみることにして、朝の回診の際は、接部のガーゼとテープの交換のみ
となりました。


3:30 am レンドルミン25mg x1
 久しぶりにレンドルミンなんか飲んでみました、が。
 この量ではきっちり15-18時間効く量だった。
 つまり、夕方くらいまでダルい予定。
 体質的に、レンドルミンは残りやすい感じがあったのを思い出したのと、
 しばらく飲んでいなかったので、耐性はほぼゼロなのかと思います。
 あまり、飲むもんでもないね。

気持ちに余裕ができてきたので、
洗濯をしてみました。病棟の同じフロアにコインランドリーがあります。
1回分、洗濯・乾燥しましたが、たたむのは自分で。
大きいシャツをたたむのに、背中や腕が悲鳴を上げています。
この衰えは、どのくらい克服できるんだろう。。。

20:23 106-56

2010年11月5日金曜日

退院の見込み(まだ、早いかな?)

今日は、執刀医の三原せんせーから、退院の日程の可能性が知らされました。
早ければ、来週末~週明け、11月12日(金)~15日(月)くらい?
休日には退院の手続きができないので、どちらかになるかもしれません。

【経過・診断】
本日の造影CTの結果: 内部で施術した部分は、問題なく目的を達成している。
退院の判断は、ドレンの抜去時期、キズの治り具合による。
[ドレンは、残り1本で、120ml/日 →100ml以下になると抜きます。]
[残りのキズが乾燥していること]
この2点が退院条件です。

2010年11月4日木曜日

本日の検査など

・胸部レントゲン
 (問題なく撮影しました)
・心エコー
 (術後の傷の上にプロブを押し当てて、なおかつジェルを使用うことが必須な検査を、
  こうい状況でどう検査するのか、興味はあった。今朝、ホッチキスの針は、
  抜いたが、とても傷口がくっついている状態とはいえないない。)
 私の心配をよそに、なんなく検査項目を実施していったのは、
 術前にも同じ検査をしていただいた、的確なプロブ操作に定評のある、
 検査室のYD技師(すてきな仕事人)でした。

・洗髪
 この病院の施設では、シャンプー台にうつむいた姿勢で洗髪するしかないです(床屋さん型)。
 美容院で行われている 洗ってもらう人が仰向けというのは、そういうのに対応したイスが
 ないために、難しいようです(美容院型)。好み習慣や、症状によっては美容院型にも対応
できたほうがよいし、わたしも今日は洗浄の半ばで姿勢がつらくなってしまいました。

 仕上げに、リンスの代わりにエッセンシャルオイル(オレンジ)を1滴
 お湯を少しすくった手に取り、髪の毛をセットするように両手で粗くなでつけて
流さず、1-2分後に水分を軽く拭きました。

 汚れが酷かったせいか、期待の半分くらいの仕上がりです。
 (1週間も洗わなかったのですから、大変なことでした。)

・突然 鼻血
 やっと少し大きめの息が吐けるようになってきたので、
 鼻をかんだり、痰を出すことが多くなりました。
 それが今、右の鼻からボトボトの鼻血となりました。
 角田せんせーがNSに詰めて居られたので、おびただしい量の
 脱脂綿?を詰めてもらい、明日朝まで、と付け加えられました。
 術中に鼻の穴からチューブを挿したり、点滴用に抗凝固剤を使っていたり、
 そういえば、幼い頃はよく鼻血を出す子だった、とかいろいろありそうです。

眠れなかったけど・・・

今日で 術後7日目となりました。一昨日から一般病棟の4人部屋にいますが、
同じような病の老人たたちに囲まれ、いびきの大きさと認知症的な行動に
困惑していたりしますが、昨夜かから、同じ4人部屋なのに、
PCのタイピング音もさせたら失礼なくらい静寂の流れる部屋になりました。

昨夕、主治医Dr.(角田せんせー) が、回診に来てくれました。

Dr. 「ものすごい 順調ですよ!」
私 「揺り戻しとか・・・?」
Dr. 「あなたのがんばりに 自信持っていいですよ。
   しっかり食べて、よく動いてるからですね。」
私 (おお、そうか!)(声が出ないので、満面の笑みでリアクション)

というくらい 順調です。

そして、今朝、縫い目に並んでいた、ホッチキスの針のような金属を
1個1個 チクチクと小さなニッパーのような道具で抜去しました。
そのホッチキスや、抜去の道具は、こんなものでした。



あと、心電図モニタも外れました。

残るは、ドレンチューブとJ-VACです。

廃液が白濁してきて、乳糜(にゅうび)状を呈しているということで、
少し調べてみます。



時刻   血圧  体温  SP02 
5:30 108-60 36.5℃ 97%

2010年11月3日水曜日

痛いが、我慢しなくていいということで。

昨日 22時頃 レペタン坐剤0.2mg x1
10:30 レペタン坐剤0.2mg x1

20:00 124―80

本日昼ごろから、酸素吸引が2L/min → 1L/minになりましたが、
夕方には、酸素なし、となりました。

まだ、ドレンの先に付いた バッグ2個(商品名:J-VAC)には、
日に200ml以上 排出されています。

明日、造影CT + 胸部レントゲンの予定なので、その結果と
液量によってはドレンを抜くことが期待できるかもしれません。

間に合えば、ごはんは、普通炊き200g → 全粥400gに戻します。
完食できなくなってきたので。

メニュー外で、チョコの菓子パンとブラックコーヒーを買い食いしました。


今日は晴れの特異日だったよね。
歩けてる記念に。
   

なぜ、大動脈解離を発症したか。

少なくとも わたしの場合、結果的に不養生・不摂生にカラダが耐えられなかった、
ということです。

他の誰のせいでもない、自分のせいで発症しました。

元々高血圧な体質で、40歳を過ぎたあたりからは、注意を払う必要がありました。

しかし、味の濃いものが大好き、薬が処方されていても平気で飲み飛ばす、
自覚症状がないものだから、別の理由もあって、薬を飲まないという選択までしたことがありました。

薬を飲まなくなり始めたのは、2008年ころでした。たまに血圧を自宅で測ってみると、
たしかに高いが、危険な領域ではなく(90~100―140mmHgくらい)、
体重をコントロール(170cm/78kg→65kgくらいに)すれば、薬なしでも
結果的に血圧はコントロールできると思い込んでいました。

ところが、2010年4月に急性的に発症したときは、血圧が200mmHgくらいまであり、
まさに、高血圧症は、合併症をなにか発症するまで気づかない サイレントキラーだったわけです。

薬を飲まなくなってからの生活が 今思えば大変なことで、
強くもないカラダで、毎日 酔うまで酒を呑み、
食物も、それ中心のメニューとなることが多く、
絵に描いたような、ダメ生活だったということです。
仕事も人間関係も安定しないが、
それはそれで当時は楽しめていたので、2年も続いたということかもしれません。
すさんでるという自覚すら ありませんでした。

つづく

2010年11月2日火曜日

昨日から 今日にかけて

【変化】
・今朝から、ごはんが全粥(400g)から、普通に炊いたの(200g)になりました。
・酸素の供給が マスク6L/分 → 鼻から2L/分 に減りました。

【変化していないこと】
・ドレンパックが患部から(当初4本、現在2本(肺底、肺尖))外に出ています。
 昨日現在で約300ml/日回収出来ていて、体を動かし始めて 増加しています。
 よって、まだ抜去することはできません。
・リモートの心電図計は、SpO2のセンサーは取れたが、心電図の3点計測は、続行しています。
・朝夕の抗生剤の点滴が継続しています。(点滴針を留置しています。)

【新しいこと】
・この病院に勤務している、理学療法士さんに、大動脈解離と咳のことについて、メールで
 相談(提案を含む)しました。


体内につながったチューブが4本、表面に張り付いたケーブルが3本。
半分に減れば 自由度はかなり上がるのだけど。


今日は午後から 母が来てくれた。

2010年10月31日日曜日

手術直後の記録 10/31 (弟が補完)


- 2010年10月31日 日曜日 15:13
10/31 状況 術後3日目
14時頃に病院に到着。点滴台が外れて、酸素だけになった。相変わらず動くと息切れして声も出にくそうだが、顔色も良く、調子も良さそう。ベッドに腰掛けてPCを操作するなどしていた。

大丈夫、ありがとう。

どうにかこうにか、私の一部アンドロイド化は成功したようです。
ようです、というのは、術後自分のことに付いて残念なお知らせが、
ほぼ聞こえないし、先週木曜に手術していただものが、翌々日の
土曜には一般病棟移ってこれているので、経過は良好なのかな、というとは
わかります。

まだ、正式な見解ではありませんが、なんとか大丈夫そうというところまで
きましたので、ご報告させていただきます。
ありがとうございます。

2010年10月30日土曜日

手術直後の記録 10/30 (弟が補完)


- 2010年10月30日 土曜日 17:49
17時40分ごろに夕食、と思ったら、トイレに。すぐに息が上がる。

- 2010年10月30日 土曜日 17:32
続き
居眠り状態、時々、寝言のような、短い声をあげる。
一生懸命、起きていようしているみたい。

- 2010年10月30日 土曜日 16:34
10/30 状況 術後2日目 台風接近中、雨。
15時すぎに母と病院へ。ベッドを起こしているが、居眠り状態。
意識は昨日よりハッキリしているが、声が出にくそう。時々、酸素濃度が下がるみたいで、その度に看護師さんが様子を確認している。オシッコの管が取れていた。
介助付きでトイレに。

2010年10月29日金曜日

手術直後の記録 10/29 (弟が補完)


- 2010年10月29日 金曜日 0:00
10/29 状況 術後1日目
13時ごろに到着。
ちょうどICUから個室に移ったところでした。
話しかけると答えてくれますが、まだ半分寝たような状態です。
16時頃のリハビリで、ベッドに腰掛ける、横になるを、補助してもらながら1回しました。

- 2010年10月29日 金曜日 0:00
晩御飯出ました。フルーツのカケラ数個をスプーンに2口程で終了。
先生の見たては、全く問題なし。今のところ他の患者さんより大人しく、がんばってられる、あとは切ったところが痛くても、がんばって、リハビリをすることだそうです。

【本人注】  手術後の一番古い記憶は、この”フルーツのカケラ”です。うまかった。
それ以前は、自然な記憶に頼る限り、決意?とかを思いながら、朝の空の写真を撮ったところまでです。
術中の記憶がどうだとか言っていた割には、記憶はあっけなくジャンプしています。
でも、間違いなく体験していることなので、潜在意識の中でどう整理がつけてあるのか、
興味深いところです。


- 2010年10月29日 金曜日 0:00
明日かあさってにオシッコの管もとって、立って歩くリハビリをするそうです。
そんなに痛がっていません。まだ痛み止めが効いているのかな。
19時に病室を出ました。

- 2010年10月29日 金曜日 0:00
補足
あとからの先生の話で、10/28.帰宅したあと30分位で覚醒。11時すぎに病院から連絡あり、問題ないので予定通り、ICUを出て、一般病棟へ移れる、とのこと。

2010年10月28日木曜日

手術直後の記録 10/28 (弟が補完)

- 2010年10月28日 木曜日 0:00
10/28 手術当日
9時から開始、母は8時20分頃病院に到着。14時すぎに到着、家族控え室へ。まだ何も呼ばれていない。14時半ごろ、執刀医の先生から、無事成功と告げられる。それから1時間程でICUに。対面、先生から状況説明、更に1時間後、問題ない事を確認して、一旦、帰宅。

2010年10月27日水曜日

いよいよ 明日。

午後から、ICUでの過ごし方の説明をICUの看護師さんから、
手術室に入るときと中の説明(と言ってもわたしはその時眠ったまま)を
手術室担当の看護師さんから、麻酔のことを麻酔医の先生から、
ICUから出たあとのリハビリのことを療法士さんから、それぞれが
入れ替わり立ちかわり 病室まで来てくださり、説明くださいました。
あと、主治医の先生チームが元気かどうか顔を見にきてくださったり、
病棟看護師さんが留置用の点滴針を挿しにきたり、
そのあいだをぬって、次にいつ入れるかわからない風呂に入りに行ったり

・・・と前日は、結構あわただしく過ぎました。

こうして見ると、医療関係だけでさえ、こんなにたくさんの方々に関わって
いただいていて、

さらに、身内、友達、仕事関係・・・とだんだん広げて一人ひとりを思うと、
その誰もが、わたしの復帰を心から願い、そのように行動してくれている
ことがわかります。

なんと幸せなことでしょう!

ここでわたしのできることは、完治した体を手にいれて、
元の場に戻ること。
そして、元気になって戻れさえすれば、
そこからが、新しいスタートだと確信しています。


4-5時間の手術後、ICUに入っても当日中は完全に麻酔から覚めません。
また、手術後2-3日はICUでのケアが必要です。
よって、おそらく、11月1日(月曜)に一般病棟に移る可能性が高いです。

このブログ、mixi、メールなどはその間は発信することができません。

どうか、関わってくださる方々のために お祈りください。
わたしは、この幸せなことに感謝しつつ、明日を迎えたいと思います。

造影CTと遅い朝食

今日も検査の時間は遅れがちです。
入院患者の呼出は、後回しにされがちなのかもしれません。

朝食を食べないよう指示があって、待機していてたら、
やっと昼前に順番が来て、検査を受け、病室に戻ってきたらもう11時45分でした。

でも、朝食は取っておいてもらったので、温めて食べました。

食べ終わると直ぐに 昼食が来ました。
少しあとで食べることにします。

今日の造影CTは、対麻痺の起こるかもしれない血管を特定しておくための
ものです。今回は、もしエラーすると対麻痺の可能性のある部分は手術で操作しない
ことになっているのですが、念のための検査となります。
大動脈から脊髄へ行っている血管の様子を詳しく調べるということで、
造影剤の量も多かったようです。
造影剤が体内に入ると、熱い感じがしてわかるのですが、その感じが
今日は、広範囲に長く続いた感覚でした。

このあと今日は、手術前のシャワーを浴び、なぜか腹巻きを買いに行き、
リハビリのオリエンテーションを受けることになっています。

近況報告 ロースの写真

ロースを預かってくださっている、瀬戸口さんからフォトが届きました。

[2010/10/26 21:20:07] realdirect724: 少しだけ牙をむかなくなりました

[2010/10/26 21:21:00] realdirect724: でもまだ恐怖心があるみたいで

だそうです。

2010年10月26日火曜日

超音波検査

午後の検査で、お昼は食べない指示があったので、
食べないで待っているとだいぶ時間を過ぎて呼ばれました。

心臓、頚動脈、大動脈、腎臓、前立腺・・・いつも定期検診で受ける
エコーの検査の何倍も時間をかけて記録していただきました。

静止画でも、動画でも記録しているそうです。

13時20分の予定が、遅れて始まったにしても、病棟にもどったのが、
16時20分くらいでしたから、1時間以上はかかっていたと思います。

私はすごく前に、メーカーは違うのですが、超音波検査装置の マニュアルの
ライターだったことがあって、技師の方と、
「マニュアル、分厚くてたいへんですよねー」
というような雑談をしながらの検査でした。
また、「このプロブ(超音波の出ている、体に当てるセンサーの部分)が
携帯電話みたいになって コードレスになるといいよね」
とか、寝て診てもらってる私としては、気楽に受診できました。

病棟に戻ると、16時からの術前説明を聞きに来た母と弟が待っており、
聞くと、説明は17時前くらいからになりそうだというので、
保管しておいてもらった、昼食を食べたながら、説明の時間を待ちました。

術前説明

【病名】
病名が変わっていました。”慢性解離性大動脈瘤”だそうです。
慢性というのは、春に発症したときのように、急に症状は進まないけれど、
治りもしない、ゆっくり悪くなる状態、かと思います。
解離した部分が膨らんで、瘤(こぶ)になってしまったのですね。

【部位と状態】
今回、置換する血管の長さは、30cm程度です。
大動脈は、心臓からいったん上向きに出て、鎖骨のあたりで
下向きになりますが、その向きを変える頂点くらいから、
位置で言うとおへその上7-8cmくらいのところになります。
ヒトの体は、胸とお腹に仕切りがあって、今回は、仕切りから上、
胸の区画だけを対象にします。

大動脈置換のリスクとして、対麻痺といって、大動脈から脊髄へ
行っている血管があり、その血管をつなぎ替えると、下半身が不随になる
リスクが10%あるのですが、今回置換するエリアには含まれませんし、
鎖骨の部分で枝分かれする部分も含まないので、分岐なしのストレートな
部分の置換ということになりますので、つなぐ手数が単純な分、リスクは
下がります。

春に解離が発生したときに、もし、このような枝分かれなのないストレートな部分
ではないところで解離が発生していたたとしたら、大変なことになっていた
ということを、改めて思い起こしました。
つまり、もっと上方なら、鎖骨あたりで腕へ行く血管に影響があって
腕に不自由が残ったかったかもしれないし、
下方で解離の位置がたまたま枝分かれする血管のその部分だったら、
枝分かれの先の方に、たとえば腎臓があって、尿が出なくなるとか、
の障害があったかもしれません。
そういう合併症なしに、急性期は過ぎ仕事にも復帰できたことは、
ほんとうによかったことなんだと思います。そして、半年後に 今度は瘤に
分類されるほど破裂のリスクのある状態になっていたということです。

ゆっくりではありますが、症状は進んでおり、今なら、ストレートな部分だけの
置換で済むところ、もう半年後には、もしかすると、枝分かれしたややこしい
部分を含んで置換しなければならなくなるかもしれません。
そういう点からも、今回、できるだけ早い時期に手術を決めたことはよかった
といえます。

【術式】
心臓を止めずに行う方法もあるようですが、今回は止める方法で行ないます。
心臓を止めるにあたり、体温を20℃くらいまで下げて、行くそうです。
心臓を再び動かすときも、徐々に体温を上げていくそうで、この温度の上げ下げの
時間がかかるため、手術時間も全体で5時間程度になるとのことです。
心臓が止まっている間、人工心肺を使用しますが、人工心肺も使用しない時間
=つまり、脳に血流がない死んだのと同じ状態の時間も20-30分あります。

心臓を止めずにする術式を選択肢しなかったのは、心臓を止めまない場合は、
血管をクリップで止めて血流を止める必要があるが、ただでさえ弱っている
血管をクリップで止めるのは、血管を損傷しやすく、また、クリップすることで
血管内の血栓が剥がれてを脳や心臓の血管を詰まらせるリスクもあるからです。

古い血管は、取り出ざず、体内に置いておきます。これは意外だったのですが、
全部摘出するために剥がすのが大変で、出血も多くなり、そのまま置いておいても
害はないのでそのようにするそうです。
人工血管を取り付ける際には、古い血管に縦に切り込みを入れて、血管が
筒状になっているのをひらき、開いたところを人工血管に置き換えて、
両端を縫い合わせます。

外からののアプローチは、下から2番目と3番目の肋骨の間に骨に沿って切り込みを
入れ、いったん肋骨を切り、開いて中の方に進んで行きます。
切り開く長さは30-40cmくらいでしょうか。

肋間神経痛という病気があるとおり、そこには神経があり、また、この部位は
よく動く部分なので痛みは、他の部位に比べて長引きます。直後の痛みが
おさまるのにも3週間程度はかかりそうです。

【おまけ】
私の知的好奇心の話ですが、取り出した血管をぜひ見たい、とお願いしたところ、
上述のように、実際には血管は取り出さないので、
それはムリだということがわかりました。
なので、体を切り開いたところなどの写真をあとから見せていただけるよう、
お願いしました。

2010年10月25日月曜日

心臓カテーテル検査

昼前から検査用に点滴(ラクテック注500mL)をし、
車椅子で検査室へ向かうということなので、
どんなたいそうな検査かと少しだけワクワクしていました。

検査室に入ると、明らかに心電図とかの検査室とはちがう、
どちらかというと手術室のような部屋です。

スタッフがドクターを含め6~7人おられ、ものものしいなと思っている中、
スタッフのかたは、他の検査室よりもキビキビ働いておられる感じです。

幅のせまいベッドの横には6面の大型液晶パネルがあり、
グラフ用とか画像用とかあるのでしょう。

ベッドに横たわると、カテーテルを入れる右腕を消毒・麻酔されました。
体の上から「消毒された大きな紙」を被せられ、手術かと思うほどです。

右腕のひじの内側の動脈から針が入れられたようですが、もう何も感じません。

そうこうしているうちに、モニターにX線の画像が映りました。
当たり前といえばそうですが、私の骨や、動いている心臓の形が分かります。
先の曲がった細い針金が入って行く様子も映っています。

グラブは、私の脈や血圧をモニターしているようです。
脈に合わせて電子音もしています。

「造影剤が入りますよ、少し熱く感じますよ」
「息を吸ってーー、止めて」
と言われた次の瞬間、モニターの私の心臓の周りの血管(冠動脈)に
造影剤が流れ込み、血管の形があらわになります。
同時に、のどの辺が、少しカッと熱く感じます。
「はい、ラクにしてください」

「息を吐いてーー、止めて」・・・というのもあります。
ちょっと苦しいです。

1度撮影すると、すぐにモニタで確認しているようです。
動画です。


ドクターが(おそらく)技師さんに何か指示をだしています。
ベッドの上の私は少々不安です。

指示で息を止めていると、造影剤の注入に合わせて
カメラ部分が動いていきます。

ドクターは、カメラアクションを付けていたのでした。。

モニタで確認すると、なるほど、大動脈の中の流れの様子を
カメラが追っていて 詳しい流れが、よくわかりそうです。


はじめから何カットも撮りました。静止画があったのかわかりません。


右腕の血管から針が抜かれ、その後は止血のために
ビニール風船のようなものを血管のその部分にあてがい、
そこに空気を注入して圧迫する式のものつけられ、
さらに腕の曲がりを固定すべく、ギブスのようなものを
装着されました。


こんな検査は初めての体験でした。

数時間あと、主治医から、廊下で呼び止められ、
この検査の結果は問題なかった
との所見をいただきました。

今日から入院

昨日は、残務が遅くまであったうえ、室内の物量は減ったとはいえまだまだ片付かず、
さらに、ちょっと一言のつもりのSkypeが思いのほか盛り上がり、
結局、なんだかんだと片付け・準備しているうちに明るくなってしまいました。
1時間ほど横になり、サイプレスの風呂に入って 準備の続きをして、
冷蔵庫の中身をほとんど廃棄して、家中のほとんどのコンセントを抜き、
リュックと、キャスターバックで出発したのでした。

病院に着き、何枚もの書類に住所名前を書いて、売店と事務に手続きをして、
入室となりました。

かかる科が同じだから病棟も今年の春と同じなので、看護師さん、助手さんたちも
顔なじみが多く、あちらも覚えてくださっていて歓迎されるのはいいのだけど、
出戻りだけに、わたしは愛想笑いして、よろしくと言うのが精一杯でした。

手術前には、身長体重にはじまる、30くらいの検査項目があって、
あちらこちらの検査室を行き来することになりそうです。

すでに、午前中で頭部CT、肺活量、心電図、ABI(動脈硬化の検査)が終わりました。

2010年10月23日土曜日

今、いちばん欲しいもの

何といっても 元気な体(健康)です。

いくらiPhoneが欲しくても、
どんなに新しいプロジェクトを考えても、
元気でなくては何もできません。

病気になって健康のありがたさを感じるという
話をよく聞きますが、まったくそのとおりです。

指先をちょっと切っても作業が滞るし、
虫歯が1つ痛くなっても何もする気がしなくなります。

今回は、指先や歯どころではありません。

痛みはまだありませんが、
咳と息切れの症状がほんの少しずつですが
重くなってきているような気がします。


入院の日が迫るにしたがって、緊張も高まりますが、
退院後の元気な生活に期待を寄せて、
ただ、入院前の整理に励むばかりです。

今日は予定どおり、リサイクル屋さんに来ていただいて、
不用品の処分をしました。

今日の2回目の風呂はヤングヴァラー

入浴後の血圧 98-65

2010年10月21日木曜日

体力低下(?)など

私の大動脈に今年の春に解離が発生して以降、体力が落ちたように思います。

3週間の入院のために1度落ちた体力が戻っていないこともあるかもしれないし、
退院直後は基本的に安静で暮らしなさい、と指示もあったので、
あまり体を動かさない生活でした。

退院後、3ヶ月後くらいには、ジムに行って軽い運動くらいだったらいいよ、
ということになりましたが、実のところ1度も行けずに今日に至っています。
これは、体力の問題ではなく、単に仕事の段取りが悪く 行こうと思っていたのに 
行けない日が続いていただけです。

さて、昨日から安城まで往復して思いました。

体力が落ちてる。。。息切れはげしい。。。汗をかく。。。

原因とか機序はわからないですが、
早く回復したいな、と思うくらいの変化が来ています。

ほんの数週間前、同じコースで旅行したときには、体力低下はさほど
感じませんでした。

今回は、往路では猫を連れていたし、
前回は日帰りのところ、今回は泊まりだったという違いもあるにはありますが、
それを差し引いても、ちょっとしんどいかなと感じます。

胸の発汗位置が、対称でなく、左寄りというのも気になります。
今年の夏、汗をかいた時、胸のセンターでなく、
左に寄ったところでよく発汗しているのに気付きました。
心臓に負担が掛かっているのか?と主治医に尋ねたことがありますが、
関係ない、とのことでした。

解離の影響で大動脈のその部分が狭くなっていて、
血液を巡らせるのに心臓が一生懸命だったり、
血液のめぐりが悪いために息が切れる、
のかな、と推論しています。


とにかく、体の異常が起きている部分は 早急になんとかしないといけない
と体感しています。

2010年10月20日水曜日

猫を預けに

入院に際し 悩みのひとつは猫のことでした。

今、その猫と新幹線に乗って預かってくださる師匠STさんの元へ向かっています。

猫をどうしようかと 考えていたとき、預かってくださる役を買って出てくれたのでした。

プロのペットシッターさんやペットホテルだと、コストも掛かるし、
なにより猫本人がかなりのストレスになることを心配していました。

STさんは、動物好きだそうで、今は何も飼っておられません。

住居は広々として、猫も疎開先としては、さぞ満足なことと思います。

これで、1つ心配事が解消して 入院できそうです。

ありがとうございます & よろしくお願いいたします。

三河安城のホームに着いた(ちょっと疲れたかな。)

いっかい死ぬ

大病をしたり大きな事故にあって生還すると、
好みがかわったり、生き方が変わったりすることをよく聞きます。

たしかに、来週の手術では体側を大規模に切り開くことになります。

そして、カラダの大事な部分が、本来自分のものではない人工物に置き換わります。

高度に個人的ですが、これほどの大事件で変化がないわけがありません。

昨日、友人SNさんからメールで
> 病気はシフトのときかもしれません。
> 一回死んだという感じで生まれ変わるんだろうね。
と、いただきました。

実際、心臓もどれくらいの時間かいったん止めることになりますので、
一時的とはいえ、一回死ぬのも同然です。

今年の春に入院したときにも、変化はありました。

退院後半年の間にいろんな気付きもありました。

でも、そんな変化や気付きでは足りなかったということかもしれません。

なんとかは死んでも治らない、といいますが、
今回、死ぬほどの人生の流れの断絶を体験するにあたり、
変化や気付きに 抗わず、素直に受け止めていくのがいいのかな、と思っています。


ところで、心臓が止まっている間は、臨死の状態になるのでしょうか。

ちょっと興味深い、と言ったら不謹慎かな。

2010年10月18日月曜日

ラベンダー+サイプレスの風呂

今日もアロマ風呂にしました。

1回目は昨日と同じラベンダー、2回目はたし湯をして、サイプレスにしました。

冬にかじかんだ手をお湯で洗った時のような感覚が手先と足先にありました。

まだ冬にはまだ間があるし、そんなに冷えたという自覚はなかったのですが、
血行が悪かったということでしょうか。

たしかに、手先を使う仕事をしていて 疲労していたのかもしれません。

ちょっと停滞した気分も解消したように思います。

依然として、同じ作業をするにしても、平常時より時間がかかるので、
集中力は落ちている感じは取れませんが。

あと、サイプレスを2滴くらい手にとって 胸のあたりに塗ってみました。

いい香りだなぁ、というくらいで効果はよくわかりません。

気分はいいです。

気分いいな、と思ってイスのリクライニングいっぱいにもたれてみると、
天井や天井に近い壁が だいぶタバコのヤニやらで汚れているのが
目につきます。(昨日までは気にならなかった)

この気づきは、いよいよ禁煙して、壁や天井までも掃除しよう
ということに導かれるのかもしれません。たいへんだ。

そもそも、香りを楽しもうというのに、同じ空間で臭い煙をまき散らすなんて
おかしなことですよね。

2010年10月17日日曜日

ラベンダーの風呂

湯船にお湯を張ってゆっくり過ごすという習慣はありませんでした。

ずっと以前にはアロマをたいたり、服にふりかけたりということは
したことがありました。

友人SNさんから「リラックスしたらいいよ」とおすすめいただいて
初めてアロマオイルを3-4滴 湯船にたらしてみました。

お湯の温度とラベンダーの香りと相まって ゆっくりとできました。

ラベンダーの香りと言っても芳香剤の強い人工的な香りではなく、
ほのかに香るくらいのものですが、香りが疲れを吸い取るのか
アロマ成分が体に浸透するのか 体がほぐれていく感じです。

出たあともスッキリとした感じです。よく眠れそう。


実は、我が家の風呂場は 作業に使っていたとこともあり、
激しく汚れ、資材も置いてあったりして、シャワーを浴びるのがやっとで、
とてもリラックスできる場とは言えませんでした。

でも、お湯を張るためには最低限湯船の大掃除は必要だったし、
資材も片付けて、床に汚れが、壁にもカビが、と
洗剤や塩素をかけてはブラシングしているうちに、
家中で一番きれいな場所となりました。

風呂場もきれいになったし、気分もいいし、もっと早くこうしていればよかったな、
と思うくらいです。

今日は、2度 入浴しました。

2010年10月16日土曜日

大動脈解離と咳

大動脈瘤が気管の近くで発生すると、咳が出やすくなる
ということはわかっているようです。(TBS カラダのキモチの今年9/12放送分で知りました)
瘤が気管の咳中枢を刺激するとのことです。

大動脈解離でも同じではないかと思うのです。
(主治医は否定しますが。)
実際、前回発症する前まで、よくカラ咳がでていました。
入院した結果、血圧をコントロールできたため、大動脈が元のサイズ近くに戻り、
気管に影響しなくなり咳が治まった、と考えています。

そして、今回、今まさに咳がよく出ます。
大動脈が太くなっていることはCTで分かっていますから、気管中枢を刺激しているのかも
しれません。
今回は、大動脈の外壁は1層しかありませんから、大動脈が太くなるということは
壁がどんどん薄くなっており、破裂の危険が高まっているといえ、
かなり恐ろしい状況に向かっていることがわかります。

即禁煙しても 咳が出続けたら、咳の原因は大動脈ということになります。
丸1日 禁煙してみようかと思います。

進んではいないけれど。。。

片付けなどは進んでないけれど、重要なアドバイスを2ついただきました。

1. 禁煙
 たしかに、健康のためには絶対に良い事だし、値上がりしたし禁煙するに越したことはありません。
 けれども、買い置きをダラダラ吸っていました。
 ところが、この一言は効きました。
 師匠STさん「キミのほしがってる、WiFiモバイルルーターの1ヶ月の料金って
 タバコ代よりずっと安いんじゃない?」
 はい、確かにそうです。新価格のタバコ1カートンと少しの金額になります。
 決定しました。禁煙です。

2. 離婚手続きはしない
 友人YKさん「奥さんに、今まで何もしてないんだから、遺族年金くらい
 もらえるようにしておいてあげたら?家賃の分くらいでるよ。」
 近年、制度が変わって、夫の掛けていた年金が離婚後の妻にも継続されることになっていますが、
 もし、今回私が生きて帰って来れなかったとき、妻に遺族年金として給付が行く方が
 納付期間にかかわらず満額給付になるので、その方がよいということになりました。
 というわけで、来週、放置していたねんきん定期便を持って社会保険事務所へGO!
 過去に転職など多いので、全部記録されているか確認するのです。

ひとりじゃ気づけませんでした。
ありがとう。持つべきはなんとか、とはホント。

それにしても咳が出る。

2010年10月15日金曜日

なるほど、心理的影響も起こる

昨日は、このブログに簡単なToDoリストを書き、母や何人かの友人と電話で話し、
夜になって数時間スカイプで話しながら少し作業をしました。

それ以外は ほとんど行動を起こせず、TV前で過ごしていました。

誰かと話しているときは 脳も活性化され普段どおり会話もできている気はします。

もしかすると、私が気づかないうちに 突飛な発言をしているかもしれないけど、
それは いつものこととお許しください。

総じて平常と同じペースでは行動できないようです。
(体調的には体温が上がらない感じがするし、空腹を感じない、
行動では部屋の片付けや仕事の整理に着手できない、
メール返信が遅延している)

チリ落盤事故のTV番組で、遭難者の心理について分析していました。

山などで遭難すると、20%くらいの人が 絶望感や死への恐怖のために
うつ状態(=正常な判断ができない、意欲がわかない など)になるそうです。

私の場合、 手術後リハビリが進めば後遺症なく復帰できるはずだし、
手術時の死亡リスクはゼロとの情報を得ています(主治医談)。

たしかに、私の事情は、死に直面した遭難者と比較するのがおかしいほど
ラクな事情だと思います。

そうは言っても、手術時には全身麻酔でいったん心臓を止めるということだし、
復帰後にがんばればよいと思ってはいても、1ヶ月以上仕事がストップするわけで
そのあたりの心配や不安はあります。

今の私の心理状態が遭難者のそれと同質だけど軽いものだとすれば、
対処方法もなんとなくわかります。

心理的に不安や心配材料を小さくできるよう、コントロールすればよいわけで
自分なりに置かれた状況は分析できているつもりなので、
今のところはセルフコントロールしていけそうです。

2010年10月14日木曜日

To Do リスト

入院までに やっておかないといけないことがあります。

・支払い
    3週間は通常行動ができなるなるので、その間に支払期日が到来するものは、
    処理しておかないと、サービスが使えなくなる心配があります。
    SOHO(個人商店)なので、人に任せられません。
    →支払いリスト作成

・高額医療の手続き
    区役所に行って申請して証明書をもらいます。

・材料の処分
    在庫として保管しておき、退院後継続することも考えましたが、この際退院後に
    商材を変更することも視野に入れ、売却できるものはいったん売却することにしました。
    仕入れ先のONさんが、「材料が必要ならいつでも調達提供できるんだし」
    と言ってくれました。助かるなぁ。
    年末に不用品処理に来てもらったリサイクル業者さんにも電話しなきゃ。

・作業場・住空間の整理、片付け
    入院中に何かあって、身内の誰かがココに入場したとき、「なんじゃこりゃ!」となっては
    いけないので、できるだけモノを減らし、片付けようと思います。
    友人KIさん談:「病院って片付いてるよね?退院して帰ってきたとき、あまり散らかってると、
    自分で「なんじゃこりゃ!」って言っちゃうよ(笑)」

・受注残の処理、販売ルートの休止
    仕事にはひと区切り付けておきます。

・猫のこと
    ペットシッター?ペットホテル?弟に餌やり依頼? と検討しましたが、
    師匠STさんが預かってくれると言ってくれているので お世話になるか考え中です。

・離婚手続き
    いろいろあって別居中でしたが、関係はそのまま仲良く、お互いの生活を尊重する
    ということで、手続きだけはしておくことにしました。

・メッセージ
    この際、伝えておきたいことがあります。言いっぱなしになるかもしれませんが、
    もし何か言い出したら よろしくお願いいたします。

・墓参り
    あちら側の方々に平素のお礼を言って、導きをお願いしてきます。

いろいろありますね。今回は入院までに期間があるのでなんとか処理していきます。
前回は、急だったのでいろいろ大変で、かなり弟の世話になりました。

また、前回は入院中でも仕事を続けましたが、今回は休止することにします。

2010年10月13日水曜日

手術決定。10月28日はハッピーデー。

今日、血管造影CT検査を受けました。

その結果、10月28日に大動脈人工血管置換術という手術を受けることになりました。


私の胸の部分の輪切り写真(CT画像)です。矢印の付いている丸い範囲が大動脈です。

左の画像は、今年4月の退院時、右が今日です。

大動脈の直径が退院時に44.7mm、今日51.0mmとなっています。

半年で約6mm大きくなっています。55mmを超えるとレッドゾーンだそうです。

ということは、来年のはじめくらいに、いつ破裂してもおかしくない危険な

状態になることが予想されます。(同じ割合で大きくなるとは限りませんが。)

緊急というわけではないが、仕事の空く年明けまで待つより、年内がベターということです。

それならと、すぐに予定がとれる日程で決めてもらいました。

術後はリハビリなどの進みによるが、3週間程度ということでした。


10月28日がハッピーな日々のはじまりでありますように。