2010年11月24日水曜日

定期受診(退院後10日目)

角田せんせーの診察。
1.血液検査の結果は「すごくイイ!」
2.胸部レントゲンの所見は、左肺にまだ胸水が認められる。よって、利尿剤は継続する。
3.あとは、発症の原因であった、食についての生活習慣に注意を払いさえすれば、
  件の腹部に残った解離もコントロールしていけるでしょう。
とのことでした。

今週月曜にも眼科の診察を受けていて、美人眼科医羽島せんせーの所見は、
1.眼球に認められる、虚血の形跡は改善しつつある。
とのことでした。

体力の回復や、集中力の改善など、自分でも感じるほど、日々良くなっていくようです。
睡眠時に呼吸が浅く苦しくなって覚醒することも少なくなり、
数時間の継続した睡眠がとれるようになってきました。
しかし、肋骨はまだ痛く、体に力を入れられないので、重たいものは持てないし、
大笑いの可能性のあることは避けねばなりません。
発汗が右側に偏ることがある、左目の視野の一部が砂嵐になる、
声がかすれる症状は依然としてあります。

次回受診:眼科>12/20 10:30、心外科>12/22 11:00

時刻    血圧      体温    SP02    体重 
22:38 124-81  ℃    %     68.4kg

2010年11月14日日曜日

タオル温湿布の効果

そもそも タオル温湿布を知ったのは、クラシック系のネットラジオ「オッターヴァ」のコンブリオという番組でした。リスナーの方が投稿された情報をDJ氏が語っておられたのを参考にさせていただきました。(11/8放送分)

確か、オリジナルは、高温のお湯を掛けて絞った温タオルを3枚準備して、それを順次取り替えて患部を温める、ということでした。お湯の中にアロマオイルを入れてもいいという事だったと思います。
また、お湯に漬けるて絞るのでなくて、ただ濡らしたタオルを電子レンジで温めるという手抜き法も紹介されました。

そこで、まさに今入院中のわたしは、病院内で簡単に再現できる 次のような方法で行ないました。

① 温度の高めの温タオルを2枚をビニル袋に入れて支給してもらいます。
 こういうモノは病院なのでスペシャルではなく、お願いすると確実に持って来てくださいます。
② ①を、別の乾いたタオルでくるみます。
③ くるむ際、乾いたタオル好きな部位にオイルを1-2滴つかう。
④ たとえば、乾いたタオルでくるむとき、キャンディーかハッピーターンのようにくるんで 端の余る部分同士を結ぶと、首にまいて固定することができる。

そして、これを行った理由と効果は次のとおりですが、結果、よい対処だったと思います。
今回の治療は、左側から体内にアクセスする方法だったので、侵襲もアンシンメトリなものとなりました。
回復の過程でもそういうことは未経験のため苦労が多く、
・体の左だけが硬直したように凝る。
・発汗が右側からしかできない、という現象がありさらに、
・左目のある決まった部分が見えない(その後、「見えにくいが、歪むから霞むへ」という症状になってきています。)とか、
・耳奥がパルス的に痛くなるとか、
・嗄声が治らないとか、
ということが現在でも少なからず残っています。

しかし、寝る前、夜中に目が覚めてしまったとき、上記の「タオル温湿布 with オレンジ」を行うと、
少なくとも凝りはラクになり、耳奥の痛みは早期に消失するように思います。
毎日、昼間から繰り返し、タオル温湿布を1週間ほど続けましたが、痛み対策にも、機能回復にも貢献していると言ってもよいかと思います。最近4日くらい、痛み止めを服用していません。

気持ちイイと感じる範囲で、このタオルを首のうしろや横にあてがうわけですが、いずれ温度は下がります。その場合、私は、自分で電子レンジで再加熱を繰り返し、ほぼ1日毎に交換していました。

かなり以前には、首周辺を積極的に温めるということはなかったし、実際、後頭部を熱中症などで冷やすことはあっても、理由はどうあれ温めることはないと習ったものですが、業界の常識も変化しているようで、おそらく、看護雑誌等には、タオル温湿布の適用部位として、首の周囲全域と後頭部も入った記述と載っているのかもしれません。


時刻    血圧      体温    SP02    体重 
14:00 104-68  36.0℃    %     kg
19:54 118-70  36.8℃  97%

一般病室で思うこと。

今朝の回診で、明日の退院にあたって感謝を述べつつ、最後まで、ドレンチューブの出口に貼ってあった 小さなシール材をはがしていただきました。

昨夜、個人的に同様の記述をさせていただきましたので、重複した記述になりますが、ここからしばらくお許しください。
今回、手術を受けることを即断したのはたしかにわたしでした。
そこまでがわたしで、その後、入院までの間、仕事を休止するためにうけたサポート、入院への心構えを盛り上げてもらったサポート、入院してからは、医療チームのサポートに全面的に委ねました。
そして、大きな開口を作ったカラダも、きちんと元のとおり使えるように戻してもらったので、わたしの肉体は不思議なくらい回復しています。
しかも、わたしの意思が及ばないところまでも着実に戻りつつあるのを覚えます。


結局、始めに意思の決定だけ行ったわたしは、その後、信じて委ねました。すると、パワーやサポートが次々とやってきて解決していってくれた、と言えるほど速い流れだったように思います。
「こんなに、早く退院できて、すごいね。」とお祝いをただきます。
が、ただ決めただけでわたしは何もしないのに、わたしのカラダと魂が道を迷わずどんどん生還に向かっていってるのがすごいことだと思うのです(思っているのが心です)。


さて、日曜の朝というのに、わたしの病室で脱走騒ぎがありました。
隣のベッドのおじいさんTKTさんです。
直接お聞きしたわけではないのですが、かれこれ2週間同じ部屋で毎日やすんでいると、断片的に聞こえてくることはあります。
TKTさんは、奥さんもケガをされて別の病院に入院されている、TKTさんご本人は透析が必要だが、そいうわけで通いで週3回透析を受けるくらいなら、しばらくは今のまま過ごすのが医療・介護の面からも経済的、自宅に戻るとすれば、息子たちの迎えが必要となるが、それは最速でも今週水曜にしか実施できない。透析以外の循環器的な病気は回復しており、その点での退院は可能であった。
そうなら、水曜まで過ごされるものと思っていましたし、打ち合わせもそのようになっているようでしたが、TKTさんご本人は事あるたびに早く退院したいとハッキリした言葉で訴えておられ、ときに、その日の朝は水曜退院で納得していたような言動であったのに、夕方の回診では、今から退院したいと言い出されたりしていました。
そして、今朝も、予定は水曜のまま変更ないはずなのに、担当看護師に、今日は何時頃退院だろうか、とたずねたところが、発端となり、今日に限って、老人対応の苦手な新人同然看護師IMGさんだったせいもあって、
TKTさんの 脳は論理を失ったようでした。看護師IMGさんが、確認してきますと、離れたあいだ、瞬く間に、TKTさんは 荷物をまとめ、着替え、部屋から出ていってしまいました。
それも、廊下側のベッドの向かいどうしのDOWさん(70)とわたしが通路越しに 話しているその通路を足早に過ぎていかれたので、わたしとDOWさんは、追いかけることもなく、思わず目で見送ることしかできませんでした。
その直後、不在が発覚したものの、表面的に大きな騒ぎになる前、退室から40分後くらいに病院前のバス停におられたTKTさんが 安全に連れ戻された、と聞きました。

健常な大人でも、長いこと病院のベッドに休むことは相当なストレスになります。今年になって、都合6週間 この病院にいて思うことです。
心臓血管外科、循環器科、という病棟の性質上、高齢の方が多いのは確かです。80床くらいの棟だったとおもいますが、夜中に急変の慌ただしさを感じたり、その後、食堂か面談コーナーで背筋のまっすぐな葬儀屋さんの姿を見ることもしばしばです。

そんな環境なので、わたしも、余程休む必要のないときには、パソコンを持って食堂で1日を過ごすようにして、消灯時刻以後も、ベッドで引き続きパソコンをネットにつないで、メールなどしていることを、認めていただいていました。
そうでないと、病院に進む独特の時間の中で、ベッドにしばられ 病室でぼんやり暮らしていると、それが原因で別の合併症が起こるのではないかと思えるほど、入院患者の環境は院外の環境とは違います。

高齢者で、脳の機能の十分な方なら、なおさらかもしれません。
そういった、辛い状況を慮って 本人と関係する人全員が、健全な姿かつ事情を納得した上で 入院する、そういう対応をあらかじめとることが、回避策の1つであったかもしれないが、少なくともわたしには、正解をいまだ見出すことはできません。

が、イメージとして、この人が毎日行なっている介護が、要介護者さんの最後の時まで継続していけばいいな、というのはあります。それがわたしにできるかどうかは別ですが。

2010年11月13日土曜日

千葉中央メディカルセンターへの意見

医療的にはたいへんお世話になり、わたしに命を新しくいただいたも同然という思いです。
ですから、医療機関として医療技術レベルはたいへん満足をしておりますし、大変感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです。
しかしながら、病棟病室の居住性など、医療に附随する様々な、サービス業的な部分で十分とは言えない部分がいくつかありますので、気づいた点を以下に挙げます。順序は思いつく順です。事項の軽重ではありません。

① カーテン(4人部屋で、ひとり分のを区画する大きなもの)が異常にクサイ
② ちょうど、夏寝具と冬寝具の入れ替え時期に接したが、作業の段取りが悪い
③ 退院後のその患者の使用していた場所の清掃、セットアップの作業が雑
  他の眠っているかもしれない患者の在室をまったく配慮しないほど作業時のカタカタ音がたいへんうるさい。方法についての提言は胸中にありますが、ここには記載いたしません。
④ 病室内にレントゲンの機械を入れて撮影する作業が雑
  上記③同様、作業時のカタカタ音がたいへんうるさい。
⑤ 暖房の必要な日に、冷房しか使えなかった。
⑥ 女性看護師のなかに、体臭が気になるほどクサい者、化粧品ニオイがキツすぎて気になる者がおられる。
⑦ 使用頻度の高い共用トイレが、掃除直後でもニオイが取りきれていないことがある。

本当は、よかった点やすぐれた点はこれ以上にたくさんあります。
しかし、ここでは、気付き点を挙げる(厳しく指摘する)だけになっていますことをお許しくださだい。

また、いくつか提言(患者としての希望)がございますので、記述いたします。
⑧ 患者用にインターネット環境をととのえて欲しい。(出来れば全床に)
⑨ 入院患者食のデリバリー、入院患者用の食事を外来患者へ院内レストランで提供できないだろうか。
⑩ ボランティアの受け入れが難しいようだが、縦割り組織の弊害ではないか?
⑪ 本日の脱走劇のように、簡単に患者が行方不明になれるのは、セキュリティは十分か。


1階受付前ロビーにこのような意見に機関として返答されている掲示板を拝見しました。
ご対応はその掲示板をとおして経過などをお知らせいただければ幸いです。
なお、本稿は私の闘病ブログ「私の一部がアンドロイドとなる日」 http://neo-android.blogspot.com/ の 11月13日に記載した内容、「千葉中央メディカルセンタへの意見」と同一です。


(冒頭につける)
本年4月と10~11月に各3週間、心臓血管外科にてお世話になりました、
齋藤 誠一と申します。

これからのこと(つづき)

昨日このブログで、腹腔部に残る解離について触れました。
 > そうなら、ここは、2度目の置換術をできるだけ先へ延ばす、出来れば一生行わないで済ませる
 > 方向で暮らしていきたいと考える。つまり、最も適切な血圧コントロールを含む健康管理だ。
 > 人生最大の努力が必要になるだろう。でも、これを惜しむことはできない。

そのリスク度について 主治医角田せんせーの見解を今朝の回診時に聞いてみました。
 胸腔部の解離は発症からわずか半年で、外科的手術を要したが、
 今回の処置の結果、もともとの解離の状態からして、
 経過観察、生活の管理によって、一生終えるまで再手術をしないで暮らすことも可能、
 とのことでした。
考えようによっては、次の再発までが残された時間ということになり、時限タイマーのようだと
イヤだな、とは思っていました。しかし、そのタイマーは努力次第でゆっくり進めたり、もしかすると
タイマーを捨てられるかもしれないわけです。
これは、だいぶ気持ちが違います。
 


時刻    血圧      体温    SP02    体重 
7:35  130-65  36.1℃  98%  70.6kg
19:19 110-69  37.1℃  97%

2010年11月12日金曜日

これまでのこと、これからのこと

今日、三原せんせーが直々に、「3Dの画像ができたよ」と言って、
術前と術後の 造影CTのデータから生成した
3Dイメージを同じ角度からくるっと12枚ずつのショット画の
プリントアウトをベッドまで持って来てくださった。

たぶん、通常の診察のときには、画面上でくるくる回しながら
見ることができるんだと思う。
さすがに、そういうふうに動かせるデータはいただけないのだろうな。

いただいた紙のデータをつないで、動きがわかるようにしてみますね。(あとで。)


さて、今回の大手術について,手術の前、後ともにていねいな説明をしていただいて
います。そして、今日もまたより頭がはっきりして、カラダに生きている実感が
あるときに、またお話をいただいて、より深まった感じです。

1.術式の選択
 ①人工心肺を用い、身体的には通常を保ち、ただ患部の血管をクランプして置換を行う方法
 ②低体温に導き、心臓を自然に停止させ、置換作業後体温を上げ、心臓を起動する方法
 あらゆることを含み 緻密に検討した結果、②の道をとることになった。

2.術後の経過の実際
 想像していたよりもはるかによい経過をたどっている。
 術中にはがれた血栓が脳や心筋の血管を詰まらせることは、不可抗力に近いが、そのようなことは
 観察する限り一切起こっていない。
 視野が辛い、耳奥が痛い。声がかすれるというのも含んで、術前の調子に戻っていないので、
 そいうこと現時点ではあってもよく、全身体力的に復帰したときには、改善している可能性は
 高い。ただし、経過の観察は必要。改善しない可能性もある。

3.今後予想されるシナリオ
 今回の置換範囲は胸腔内のみ。腹腔内には同様の解離が残っているが、
 これはいずれ置換することになるのか、しないで済ますにはどうしたらよいか。
 
 ここが今回 最も重要である。
 今回は、最も破裂のリスクの高い胸腔内のみの置換とした。
 腹腔内の大動脈をも同時にに置換すれば、解離の状態から逃れることはできる。
 しかし、侵襲性の増大、対麻痺のリスク負担、緊急性は弓部下降の部位に比べると小さい、
 腹部大道脈の置換はかなり複雑ゆえ関連臓器の不全のリスクもある。
 などを考え合わせて、今回は見送った。
 そして、幸い、腹部に関しては血圧をコントロールして行きさえすれば(?)、
 差し迫って置換を要さない状態である。
 いずれいつか2度目に腹部大動脈の置換を実施するにしても、今回からそれまでの間の、
 最大限に活動の可能性を考慮した術式であった。

 そうなら、ここは、2度目の置換術をできるだけ先へ延ばす、出来れば一生行わないで済ませる
 方向で暮らしていきたいと考える。つまり、最も適切な血圧コントロールを含む健康管理だ。
 人生最大の努力が必要になるだろう。でも、これを惜しむことはできない。


 入院の前の週、私にとって最も適切な質問がきた。

 「今、一番欲しいものは何?」

  >>> 「元気なカラダ!」 

 そう真剣に答えた。何度も、何度も、念を押された。

 その結果、ここまで来れた。

 (決して自力じゃないよ。でも、ちゃんと活動ができるくらい、元気になれそうだ。)

 さあ、これからどういうふうに生きていくのが、私らしいと言えるだろうか。

網膜に虚血の形跡あり

三原せんせー 朝の回診時コメント;
「(急性中耳炎的症状も、)視野狭窄にしても、そんなに高い確率では起こらない。」

なるほど、心臓外科的な後遺症として、耳奥の痛みや視覚障害が残るのは、
手術による血栓飛散にための脳梗塞を原因として考えるからだろう。
今 わたしに起こっているのは、そのような脳梗塞によるものではないような気がする。
コリ、新たなアンバランスの補正、術後の体力低下
を解消すれば自然に消失する症状なのではないか。
そうなら、視野の検査して、狭窄が発覚したとしても 近いうちに解消するものに
違いないので、検査の必要性はいかがなものか。

今の自覚のある視野狭窄は、ブラックアウトではなく、その範囲が霞む感じである。


というわけで、急拠眼科の検診を受けた。
美人眼科せんせーの所見は、
「網膜に虚血の形跡があり、そのせいで見にくくなっているのかもしれない。
今後 回復していくことに期待したい」
左右ともそのような傾向はあるが、特に左目の方がその傾向が強いので
症状となって現れているのではないか。

ここまでの見解(正式)を得るのに、みっちり2時間の検査、診断、撮影。
体力のない人にはキツイ検査だ。
体力の少ない人には、検査項目を粗くするとか できなのかなぁ。

虚血か。そうだよね、心臓を止めて作業してるんだし、
これくらいのことは起こるわけだよ。
むしろ、これくらいで済んでることがキセキなんだ。

ここでいつもの一言; 「今頃になって気付くなんて」


三原せんせー、角田せんせーは、実際に決しておっしゃるハズもないが、
声ならぬ 叫びが聞こえてきそうだ。
「キミの心臓を止めている短いチャンスの間には、
 すごく大変な作業をいくつも完璧に成功させなきゃならなかった。
 想像できるかい?」



次回眼科:11/22(再診)

時刻    血圧      体温    SP02    体重 
6:08  122-77  36.6℃  96%  71.3kg
13:46 104-66  36.7℃  97%
19:35 120-73  36.8℃  98%

2010年11月11日木曜日

凝り→中耳炎のような痛み、視野狭窄(?)

いま 抱えている自覚症状に、凝りがあります。
耳の奥(中耳)が痛くなり、急性中耳炎かともおもいますが、凝りの影響もあると思います。
凝りの影響のもう一つに、視野狭窄?があります。左目の視野のある範囲が同じ形に
グレーにアウトしています。右目は正常だし、左も眼球を動かせば見ることはでき、
不自由は回避できます。
さて、これらの凝りからくる症状は、いずれは改善するでしょうか。

凝り解消のために、一定時間連続して睡眠をとったり、温タオルの療法をしてみたり、
してはいますが、どうでしょう。


シャワーを浴びました。術後2回目。


痛み止め頓服(23:12) 左胸内部に違和感 痛いに近い

術後2週間。

耳の奥が痛いのは、凝ってるせいとはおもうけど、
現象的には急性中耳炎のようだ。
痛くて、寝れないので、カロナールを飲んだ。(2:15)
10分くらいで痛みが消え、眠りに落ち、次に気づいたのは、
90分後の、4時くらいだった。
以後、半覚醒な感じで朝を迎えました。

朝食後もう少し眠りたいと思ったのだけど、やっぱり耳の奥あたりに
痛みが戻っていて、再びカロナールを飲んだ。(9:30)
今度は、朝ゆえ病室が騒々しく、寝付くチャンスを逸してしまった。

清掃担当の方、検査技師のメカ担当の方は、
病室でもう少し静かに作業していただきたい。
あなた達の作業は、ハッキリ言って雑すぎます。
いたわりの気持ちってわかりますか?


時刻    血圧      体温    SP02    体重 
5:44  112-74  36.2℃  97%  
10:55 96-52          96%
14:54 130-74         100%
21:04 125-73  36.8℃  97%

温タオルでリラックス

今回は、手術により左右非対称な侵襲をうけているので、
回復期にあっては特に、どうしても、筋肉が偏って固くなる=凝った
状態となりやすいようです。

凝ると、睡眠が浅くなったり、本来の回復力が得られなくなったり
耳や目の奥に痛みを生じたり、たいそう不愉快です。

そこで、ネットラジオのオッターバ*でここのところ話題になっている方法ですが、
温タオルによるリラックスを実行してみています。

私の方法は、こうです。

①病棟のナースの方に アツアツのタオルを2枚、ポリ袋に入れてもらう。
②それを、扱いやすいように、乾いたタオルで巻く。
 乾いたタオルには、好みでエッセンシャルオイルを1滴しておいてもよい。
③ ①が入った②を私の頚あたりとその上あたりに 心地良いと思う感じであてがう。(冷めるまで。)

主治医の角田せんせーにもお話ししたところ、看護技術的に、
凝りに対しては、温湿布でも冷湿布でもよさそうだ、ということに
なっているそうです。

* ネットラジオのオッターバ
http://ottava.jp/
の、斎藤さんという方がDJをされているコンブリオ という18時から4時間の番組が
お気に入りです。

2010年11月10日水曜日

栄養指導、というより料理教室

4月にも 栄養士の神崎さんにいろいろ教えていただきました。
今日も同じ方に、内容が重複してももったいないので、わたしからの質問に対して
アドバイスをいただく形にしていただきました。

とど) おでん、シウマイ、餃子、ハンバーグ の各市販品は
  塩分量がすごいと聞いたので禁止にしています。
神崎さん) 厳しく禁止にしなくても、1回食べたら前後の食事を含んで 総量で調整すればいいです。

と)大盛りパスタとか、ラーメンも ホントは食べたいです。
神) 同様に総量で調整すればいいです。

神) 麺類はおつゆを全部のまない、煮込んで美味くなっているおつゆは、
  翌日に持ち越して仕立て直して食べたら なお美味しいです。
  (つゆを結局全部飲むにしても、2日かけているので減塩に貢献)

神) 市販つゆ(減塩)は便利ですよ。

と) みそ汁も禁止にしていました。
神) 1食に、減塩みそ3g程度を使ってみてください。みそも禁止にしなくて大丈夫ですよ。

などなど。



時刻    血圧      体温    SP02    体重 
6:15  114-74  35.6℃  96%  71.6kg
13:55 111-64  36.8℃  95%
20:50 132-82  36.3℃  98%

2010年11月9日火曜日

退院条件

血液の白血球数の値が、高めだそうです。
本日の結果、1万を超えている。
(基準値は、(男性)3500~9200)

今週金曜(11/12)に血液を検査して、1万より下回っていたら、
土曜に退院とする、ということになりました。


人工物を体内に設置する場合は、どうしても炎症が起こり、
術後、白血球数が増えやすいが、術を完全に終えるためには、
炎症していないことは絶対必須なので、白血球数が正常値に
戻っていないと、退院のOKには至らないとのことです。
(以上 三原せんせーより)


理学療法士の堀尾さんと 毎日、計画によって何百メートルかを歩いていますが、
今日は、天気も良かったし、病院敷地の駐車場をひと回りしたいと希望を申したところ
そのようにお付き合い頂けました。
ところが、今日は、ニュースなどでは聞いていましたが、風が強かった。
あまりの風に、駐車場 半周りくらいで戻ってしまいました。
それでも、外気を確認したかったという目的は達せられよかったです。


時刻    血圧    体温   SP02  体重 
13:08 99-59 37.2℃ 95% 71.0kg
14:37 104-60      96%
19:09 129-75 37.3℃ 99%

これから先、ともに過ごす。

今朝のチューブ2本付きのドレンパックを最後に、
わたしのカラダに、手術に伴いつながっていたものは、なくなりました。
あとは、チューブが出ていた 傷口が乾いていないことくらいでしょうか。

すなわち、今後、慣れなどによって 少しくらい変化をするかもしれませんが、
基本的に、今の状態がこれから何十年 ともに過ごすわたしのカラダの原形となる、
ということです。

本当に慣れていなくて、痛みの残りも作用しているのか、
左の目、耳あたりが、凝った感じになって重くなったりします。
緊張をほぐすのに、レンドルミンを半分のみました。

先ほど、傷口あたりが痛んで、頓服として処方されている
くすりを飲みました。

左半身を下にした寝姿勢は 痛くて不可能です。


どのことも、大血管の反乱を食い止めた 代償として
納得すべきなのですが、どこまで何を納得したらいいのか、
いつまで、今の気持ちでいれるでしょうか。
そいうときに、この記述が役立つのですね。

2010年11月8日月曜日

お見舞い企画、ありがとう。

シャワーと昼食を終えて、ベッドでちょっとウトっとしていると、
昨夜、夜行バスで大阪を発った 愛しの"ネコのおばちゃん"ことSYKさんの
ちょっと心配そうで、すてきな笑顔が、
洗濯したてのカーテンの間から現れた。
おお、なつかしい。何年ぶりか。

ひとしきり挨拶をして、
蓬莱の豚まん1個をお願いしていたので、食堂でチンして2人で食べ、
以前は 足裏マッサージが気持ちよかったのですが、
今日は、手の平マッサージをしていただきました。これまたいい!
アロマオイルを使うんですよ! 独立してご商売したらいいのにって、
ずっと思ってたんだよな。そろそろはじめようよ!

クラウドの話とか、インクの話とかしながら、
やっぱりお金はえらいという話になり、

病室のベッドに戻り、体の背面をほぐしていただいた。


次の企画は、私が焼肉中心でセッティングすることとして、
とにかく、完全に元気に戻ることを約束した。

元気でいるから、こうして懐かしい顔にも逢えるんだよ、
ステキなことじゃないか。ありがとう。

全部 外れた! おっしゃぁ! シャワーも浴びた!

手術日から数えて、11日目の朝です。

最後までつながっていた ドレン1個(チューブ2本)がはずれ、
これで、つながっているものや ぶら下がっているものはなくなりました。
うつ伏せ寝できるはず。

あとは、体内に埋設されたアンドロイド部分を大切に永く使っていくこと、
たちまちは、体内にアクセスするために 大規模に開いた部分との付き合い方をどうするか
(今までにないような体の状態なので、動かすと痛いのもあって、左半身が凝ったようになってつらい)、
(声のかすれも このあたりのことをうまくやっていくと解決するかも?)
すぐのことでは、ドレンチューブの傷跡を防水して風呂に入りたい、
ということです。

それにしても、思ったより早くここまで来れたと思います。
ほんとうに よかった。みなさん、ありがとう。
ほんとうに、今週中に退院できるかもなー。


チューブの挿さっていた傷口に防水シートを貼り、
シャワーを浴びました。もちろん、洗髪もして。
時間かかったなぁ。07分×300円。
かれこれ20分浴びてたんだな。
仕上げに、オレンジのエッセンシャルを少しのお湯を手のひらで足して
髪の毛になじませる。垂れた分も最寄の皮膚に吸収してもらうべく
ペタペタとしてみる。

香りはいい感じのはずだが、体力的に”ちょっと休みたいかも”、というくらい
消耗してしまった。
続きは 昼食後 休んでから。

2010年11月7日日曜日

週末、お見舞いの人。

そういえば、いつか私が友人KYMさんのお見舞いに
行ったのも 日曜の晩とかでした。


今日は、友人USAさんと共通の知人で師匠のSTGさんが、
繰り合わせてたずねてくださいました。
それぞれ、愛媛と愛知にお住まいです。

いつもと変わらない交流には 嬉しい限りです。

日程は、入院前からこの日くらいにね、と言っていたのが
そのとおりに実現するということも、
決して当たり前のことではない
ということも思うわけです。


病気になることは それ自体は楽しいことではないけれど、
ものの見方が 進化するにはいいチャンスかな、とか思ったりもします。


明日は、SYKさんが 大阪から お越しいただけることになっていますが、
ムリをなさいませんよう。
退院すれば、自由度もあがりますから。


にしても、ご親戚一団まとまっての来訪とか、
大家族お揃いのお見舞いとなると、とても賑々しく、
これはその家族にとってのイベントなんでしょうが、

そんなに多人数で集まるのは、ご本人が死んでからでいいんじゃない?
なんてね。

これって、介護施設の週末もこんな感じなんでしょうか?

そういえば、亡くなった叔母を施設に見舞ったのも、日曜日、墓参り後の昼下がり
だったようなきがします。


昨日、弟が来るというので、いくつか頼みました。
どれもmustなアイテムじゃなかったけど、いつものように快かったよ。
 曰く、電動歯ブラシ、フィルタ付きレギュラーコーヒー、イヤフォンの延長コード。
これも、退院近しってことかな。
母製 ロールパンと合わせて、ありがとう。



今日はいろいろ。

本日昼間の担当看護師さんが、珍しく「気になってることはありませんか?」とかおっしゃるので、
「んー、ベッドの仕切りのカーテンが、異常にクサイです。おれの枕よりもクサイです」
と申し上げたところ、対応が速かった。
直ぐに、看護助手のKZMちゃんがやってきて、ファブリーズを手にして
「これを吹きつけるか、いったん外して洗濯することになります」とのこと。
それではと、時刻はと確認すると14時くらいだったか。外して洗濯していただくことにした。
脚立をもってきますから、とカタガタと、慣れない感じで作業を始めたと思ったら
丸めたカーテンを持ってどこかへいなくなりました。
夕方ベッドに戻ると、洗い立てのいい香りのカーテンが下がっていました。
いい匂いでよかったよ。枕カバーと同じ臭いのカーテンはちょっとなぁ。
KZMちゃん、おつかれ様。ありがとう。

ここで、ちょっとアイディアなんだけど、
カーテン洗いのボランティアってどうかなぁ。
入院中に嬉しかったことって、
今 入院している人にも喜ばれるんじゃないかなぁ。

2010年11月6日土曜日

残り1本のドレンは、明日かな?

昨日までで、外部アクセスが、残り1(正確には2本の排出用ドレンチューブ)となっていました。
このチューブの回収量が、昨日1日で100mlでした。
よって、もう1日様子をみることにして、朝の回診の際は、接部のガーゼとテープの交換のみ
となりました。


3:30 am レンドルミン25mg x1
 久しぶりにレンドルミンなんか飲んでみました、が。
 この量ではきっちり15-18時間効く量だった。
 つまり、夕方くらいまでダルい予定。
 体質的に、レンドルミンは残りやすい感じがあったのを思い出したのと、
 しばらく飲んでいなかったので、耐性はほぼゼロなのかと思います。
 あまり、飲むもんでもないね。

気持ちに余裕ができてきたので、
洗濯をしてみました。病棟の同じフロアにコインランドリーがあります。
1回分、洗濯・乾燥しましたが、たたむのは自分で。
大きいシャツをたたむのに、背中や腕が悲鳴を上げています。
この衰えは、どのくらい克服できるんだろう。。。

20:23 106-56

2010年11月5日金曜日

退院の見込み(まだ、早いかな?)

今日は、執刀医の三原せんせーから、退院の日程の可能性が知らされました。
早ければ、来週末~週明け、11月12日(金)~15日(月)くらい?
休日には退院の手続きができないので、どちらかになるかもしれません。

【経過・診断】
本日の造影CTの結果: 内部で施術した部分は、問題なく目的を達成している。
退院の判断は、ドレンの抜去時期、キズの治り具合による。
[ドレンは、残り1本で、120ml/日 →100ml以下になると抜きます。]
[残りのキズが乾燥していること]
この2点が退院条件です。

2010年11月4日木曜日

本日の検査など

・胸部レントゲン
 (問題なく撮影しました)
・心エコー
 (術後の傷の上にプロブを押し当てて、なおかつジェルを使用うことが必須な検査を、
  こうい状況でどう検査するのか、興味はあった。今朝、ホッチキスの針は、
  抜いたが、とても傷口がくっついている状態とはいえないない。)
 私の心配をよそに、なんなく検査項目を実施していったのは、
 術前にも同じ検査をしていただいた、的確なプロブ操作に定評のある、
 検査室のYD技師(すてきな仕事人)でした。

・洗髪
 この病院の施設では、シャンプー台にうつむいた姿勢で洗髪するしかないです(床屋さん型)。
 美容院で行われている 洗ってもらう人が仰向けというのは、そういうのに対応したイスが
 ないために、難しいようです(美容院型)。好み習慣や、症状によっては美容院型にも対応
できたほうがよいし、わたしも今日は洗浄の半ばで姿勢がつらくなってしまいました。

 仕上げに、リンスの代わりにエッセンシャルオイル(オレンジ)を1滴
 お湯を少しすくった手に取り、髪の毛をセットするように両手で粗くなでつけて
流さず、1-2分後に水分を軽く拭きました。

 汚れが酷かったせいか、期待の半分くらいの仕上がりです。
 (1週間も洗わなかったのですから、大変なことでした。)

・突然 鼻血
 やっと少し大きめの息が吐けるようになってきたので、
 鼻をかんだり、痰を出すことが多くなりました。
 それが今、右の鼻からボトボトの鼻血となりました。
 角田せんせーがNSに詰めて居られたので、おびただしい量の
 脱脂綿?を詰めてもらい、明日朝まで、と付け加えられました。
 術中に鼻の穴からチューブを挿したり、点滴用に抗凝固剤を使っていたり、
 そういえば、幼い頃はよく鼻血を出す子だった、とかいろいろありそうです。

眠れなかったけど・・・

今日で 術後7日目となりました。一昨日から一般病棟の4人部屋にいますが、
同じような病の老人たたちに囲まれ、いびきの大きさと認知症的な行動に
困惑していたりしますが、昨夜かから、同じ4人部屋なのに、
PCのタイピング音もさせたら失礼なくらい静寂の流れる部屋になりました。

昨夕、主治医Dr.(角田せんせー) が、回診に来てくれました。

Dr. 「ものすごい 順調ですよ!」
私 「揺り戻しとか・・・?」
Dr. 「あなたのがんばりに 自信持っていいですよ。
   しっかり食べて、よく動いてるからですね。」
私 (おお、そうか!)(声が出ないので、満面の笑みでリアクション)

というくらい 順調です。

そして、今朝、縫い目に並んでいた、ホッチキスの針のような金属を
1個1個 チクチクと小さなニッパーのような道具で抜去しました。
そのホッチキスや、抜去の道具は、こんなものでした。



あと、心電図モニタも外れました。

残るは、ドレンチューブとJ-VACです。

廃液が白濁してきて、乳糜(にゅうび)状を呈しているということで、
少し調べてみます。



時刻   血圧  体温  SP02 
5:30 108-60 36.5℃ 97%

2010年11月3日水曜日

痛いが、我慢しなくていいということで。

昨日 22時頃 レペタン坐剤0.2mg x1
10:30 レペタン坐剤0.2mg x1

20:00 124―80

本日昼ごろから、酸素吸引が2L/min → 1L/minになりましたが、
夕方には、酸素なし、となりました。

まだ、ドレンの先に付いた バッグ2個(商品名:J-VAC)には、
日に200ml以上 排出されています。

明日、造影CT + 胸部レントゲンの予定なので、その結果と
液量によってはドレンを抜くことが期待できるかもしれません。

間に合えば、ごはんは、普通炊き200g → 全粥400gに戻します。
完食できなくなってきたので。

メニュー外で、チョコの菓子パンとブラックコーヒーを買い食いしました。


今日は晴れの特異日だったよね。
歩けてる記念に。
   

なぜ、大動脈解離を発症したか。

少なくとも わたしの場合、結果的に不養生・不摂生にカラダが耐えられなかった、
ということです。

他の誰のせいでもない、自分のせいで発症しました。

元々高血圧な体質で、40歳を過ぎたあたりからは、注意を払う必要がありました。

しかし、味の濃いものが大好き、薬が処方されていても平気で飲み飛ばす、
自覚症状がないものだから、別の理由もあって、薬を飲まないという選択までしたことがありました。

薬を飲まなくなり始めたのは、2008年ころでした。たまに血圧を自宅で測ってみると、
たしかに高いが、危険な領域ではなく(90~100―140mmHgくらい)、
体重をコントロール(170cm/78kg→65kgくらいに)すれば、薬なしでも
結果的に血圧はコントロールできると思い込んでいました。

ところが、2010年4月に急性的に発症したときは、血圧が200mmHgくらいまであり、
まさに、高血圧症は、合併症をなにか発症するまで気づかない サイレントキラーだったわけです。

薬を飲まなくなってからの生活が 今思えば大変なことで、
強くもないカラダで、毎日 酔うまで酒を呑み、
食物も、それ中心のメニューとなることが多く、
絵に描いたような、ダメ生活だったということです。
仕事も人間関係も安定しないが、
それはそれで当時は楽しめていたので、2年も続いたということかもしれません。
すさんでるという自覚すら ありませんでした。

つづく

2010年11月2日火曜日

昨日から 今日にかけて

【変化】
・今朝から、ごはんが全粥(400g)から、普通に炊いたの(200g)になりました。
・酸素の供給が マスク6L/分 → 鼻から2L/分 に減りました。

【変化していないこと】
・ドレンパックが患部から(当初4本、現在2本(肺底、肺尖))外に出ています。
 昨日現在で約300ml/日回収出来ていて、体を動かし始めて 増加しています。
 よって、まだ抜去することはできません。
・リモートの心電図計は、SpO2のセンサーは取れたが、心電図の3点計測は、続行しています。
・朝夕の抗生剤の点滴が継続しています。(点滴針を留置しています。)

【新しいこと】
・この病院に勤務している、理学療法士さんに、大動脈解離と咳のことについて、メールで
 相談(提案を含む)しました。


体内につながったチューブが4本、表面に張り付いたケーブルが3本。
半分に減れば 自由度はかなり上がるのだけど。


今日は午後から 母が来てくれた。