2010年11月14日日曜日

一般病室で思うこと。

今朝の回診で、明日の退院にあたって感謝を述べつつ、最後まで、ドレンチューブの出口に貼ってあった 小さなシール材をはがしていただきました。

昨夜、個人的に同様の記述をさせていただきましたので、重複した記述になりますが、ここからしばらくお許しください。
今回、手術を受けることを即断したのはたしかにわたしでした。
そこまでがわたしで、その後、入院までの間、仕事を休止するためにうけたサポート、入院への心構えを盛り上げてもらったサポート、入院してからは、医療チームのサポートに全面的に委ねました。
そして、大きな開口を作ったカラダも、きちんと元のとおり使えるように戻してもらったので、わたしの肉体は不思議なくらい回復しています。
しかも、わたしの意思が及ばないところまでも着実に戻りつつあるのを覚えます。


結局、始めに意思の決定だけ行ったわたしは、その後、信じて委ねました。すると、パワーやサポートが次々とやってきて解決していってくれた、と言えるほど速い流れだったように思います。
「こんなに、早く退院できて、すごいね。」とお祝いをただきます。
が、ただ決めただけでわたしは何もしないのに、わたしのカラダと魂が道を迷わずどんどん生還に向かっていってるのがすごいことだと思うのです(思っているのが心です)。


さて、日曜の朝というのに、わたしの病室で脱走騒ぎがありました。
隣のベッドのおじいさんTKTさんです。
直接お聞きしたわけではないのですが、かれこれ2週間同じ部屋で毎日やすんでいると、断片的に聞こえてくることはあります。
TKTさんは、奥さんもケガをされて別の病院に入院されている、TKTさんご本人は透析が必要だが、そいうわけで通いで週3回透析を受けるくらいなら、しばらくは今のまま過ごすのが医療・介護の面からも経済的、自宅に戻るとすれば、息子たちの迎えが必要となるが、それは最速でも今週水曜にしか実施できない。透析以外の循環器的な病気は回復しており、その点での退院は可能であった。
そうなら、水曜まで過ごされるものと思っていましたし、打ち合わせもそのようになっているようでしたが、TKTさんご本人は事あるたびに早く退院したいとハッキリした言葉で訴えておられ、ときに、その日の朝は水曜退院で納得していたような言動であったのに、夕方の回診では、今から退院したいと言い出されたりしていました。
そして、今朝も、予定は水曜のまま変更ないはずなのに、担当看護師に、今日は何時頃退院だろうか、とたずねたところが、発端となり、今日に限って、老人対応の苦手な新人同然看護師IMGさんだったせいもあって、
TKTさんの 脳は論理を失ったようでした。看護師IMGさんが、確認してきますと、離れたあいだ、瞬く間に、TKTさんは 荷物をまとめ、着替え、部屋から出ていってしまいました。
それも、廊下側のベッドの向かいどうしのDOWさん(70)とわたしが通路越しに 話しているその通路を足早に過ぎていかれたので、わたしとDOWさんは、追いかけることもなく、思わず目で見送ることしかできませんでした。
その直後、不在が発覚したものの、表面的に大きな騒ぎになる前、退室から40分後くらいに病院前のバス停におられたTKTさんが 安全に連れ戻された、と聞きました。

健常な大人でも、長いこと病院のベッドに休むことは相当なストレスになります。今年になって、都合6週間 この病院にいて思うことです。
心臓血管外科、循環器科、という病棟の性質上、高齢の方が多いのは確かです。80床くらいの棟だったとおもいますが、夜中に急変の慌ただしさを感じたり、その後、食堂か面談コーナーで背筋のまっすぐな葬儀屋さんの姿を見ることもしばしばです。

そんな環境なので、わたしも、余程休む必要のないときには、パソコンを持って食堂で1日を過ごすようにして、消灯時刻以後も、ベッドで引き続きパソコンをネットにつないで、メールなどしていることを、認めていただいていました。
そうでないと、病院に進む独特の時間の中で、ベッドにしばられ 病室でぼんやり暮らしていると、それが原因で別の合併症が起こるのではないかと思えるほど、入院患者の環境は院外の環境とは違います。

高齢者で、脳の機能の十分な方なら、なおさらかもしれません。
そういった、辛い状況を慮って 本人と関係する人全員が、健全な姿かつ事情を納得した上で 入院する、そういう対応をあらかじめとることが、回避策の1つであったかもしれないが、少なくともわたしには、正解をいまだ見出すことはできません。

が、イメージとして、この人が毎日行なっている介護が、要介護者さんの最後の時まで継続していけばいいな、というのはあります。それがわたしにできるかどうかは別ですが。

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